2011年6月27日月曜日

経営者についての再考

経営者についての再考after野中郁次郎の講演

野中が考える衆智経営はすごく腑に落ちるが、世界的なトレンドとしてはまだまだアングロサクソン的経営が中心で、とくに韓国・中国はその傾向を引き継いでいるという話があるそう。

その場合、「経営層」と「現場」は全く切り離されていて、そのため、トラブルが起こった場合その改善が全くなされないということを、東京の方にある電力会社の例を見れば明らか、という話を聞いた。それとリンクして、ボクが「MBAに行くことも考えたが、まずは現場でやっている仕事をする必要があるから今年、MBAに行くのはあきらめた」というと、MBAクラスに通っている友人が、「MBAに行って、改めて実務やらなきゃ」と感じたという感想を得た。MBAはもちろん、アングロサクソン的な文化であって、「経営層」と「現場」が切り離されているからこそ行われる授業であって、何かしらの実務を極めたヒトが経営者になる日本的経営にはそぐわない。そういう人たちにとって、実務が分かる必要は必ずしもないのだと思う。

日本の会社やAppleはそうではなくて、技術者から上ってきた経営者が現場を見て、感じて、実際に会社を経営することで、あらゆる事が改善が出来るという点で大きな違いがある。本田・日本電産などにおいては、社長を筆頭に現場主導で行われてきた。
ボクが思うに、「経営者が何らかの実務・最先端を理解できる会社」は強いのではないか。創業者の時代はすべて何かしらの最先端・最前線にいるから出来るが、世代交代とすると、なかなか持続しない。そこを乗り越えることに、会社の生き残りの鍵があるのか。

製薬会社で見ると、ボクが成功していると見る企業の一つにノバルティスがあり、ついこないだまでCEOをダニエルバセラがやっていた。彼は医師であり・MRであり、自身の力でトップになった。そういう点で、いろいろな多国籍企業のヘッドをやった経営者がいきなり製薬企業のヘッドになった会社とは経営思想が異なるのは必然だろう。

日本の製薬会社で、理系出身の社長がやっている会社は苦戦しているという統計があったが、これは社長の思想が最先端ではなく、過去の知識にとらわれ、判断を誤るということがあったのでは、という仮説を立ててみる。一方、文系社長がうまくいっている、というのは、文系の社長には科学技術は分からないから、技術者がやっている最先端のことに対して、とにかくGOを出したことで、うまくいっているんじゃないかなんて考えてみる。

つらつら書いたけれども最終的には、「Common Good」とか「Virtue」に向かう必要がある、という点で、最近よく思う、ブレない価値観を持つ、人はどう生きるかと考えるということが必要だと思うと同時に、こんな日本で感じることなんて世界から見ればちっぽけで、たいしたことではないと客観的に捉えることも必要ね。

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