ラベル 経営。 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 経営。 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2014年6月20日金曜日

見せる背中がある。

6月ということで、中間評価を絶賛開催中であります。それに加えてTOEICの結果も帰って参りました。

TOEICについては、これまで870点でそれなりと思っていたところ、先日東京で飲んだときに900点台の方々がいて悔しいなと思ったため、自分自身との戦いでありました。結果935点ということで、ようやく肩を並べられたな、と勝手ながらに解釈しております。少なくともベトナム人含めて会社でトップを保てましたので、見せる背中が少しは出来たと思っています。

さて、中間評価をしてみると、これまたいろいろと個性がでるなぁと思います。

一番びっくりしたのが掃除のおばちゃん。
もちろんボクの部下なので、年上ではありますが、きっちりと面談をしたところ、、、、、泣かれてしまいました。。。

え、えぇーーー、ってなったところ通訳スタッフに聞くと、
「いろいろと気遣ってくれて本当にありがとう」
ということでの感動泣きだったそう。
職業に多少の貴賤が感覚としてあるのでしょうね、ベトナムは。今までの職場ではそういう対応をされなかったということのようです。

ボクも初めての管理職ですので、ケアもしながらそれぞれの責任範囲に関してはしっかりと指導していかないといけないですね。

2014年6月3日火曜日

恣意的。

ベトナムでの経理処理も私の担当ではありますが、そんなんあり、ということが非常に頻繁に起こります。

直近であったのが、


「Depreciation expense of fixed assets not used for activities of production and business of goods and services.」
 In this case, at present,depreciation of  Fix assets not used for business purpose shall be recognized as invalid expense for CIT purpose.

ということであり、基準を満たしたら減価償却をしなさい。だけど、商業生産してないのなら損金に入れちゃダメよ、ということ。もちろんビジネス通念上、固定資産は価値を生み出すために導入するのであるし、製造に使わないなら買わなきゃいい、ということで適正な企業運営に繋がりそうな気もするといえばするのですが、こちらにはこちらの事情もある訳で、その辺、損金に入れさせてよ、という方が強いと思います。

一般的に、ベトナムでは損金算入のルールが厳しく、

・発注書が必要
・納品書が必要
・領収書が必要
・通関書類が必要
・固定資産であれば据え付けなどの引き渡し図書が必要
(しかもそれらに一字たりとも間違いがあってはならない。)

だったりして、経理処理により一層の手間ひまがかかるわけ。
勘定コードにしても国が決めちゃってるから会社で自由に番号付けが出来ないから
世界共通システムの障害にもなったりするし。

とかいって、そういう法律がコロコロ変わるし。

こういうところでの仕事というのは効率も悪いし、世界標準を使ってないし、今後どうやって活かすことの出来るスキルなのか、ということを考えてみたとき

・今後のびてくるだろう新興国(別の国)で活かす
・さまざまな理不尽な問題への対応力を先進国で活かす

ということに尽きるかなと・・

ちなみに減価償却期間はかなり幅があり、恣意的な費用計上も出来そうな勢いです。

2014年5月24日土曜日

日本人であることは武器だ。

ビジネスという戦場を勝ち抜いていくためには武器を持たないと、生きていけない、ということですね。空港から自宅までの3時間弱、ぽやっと考えてました。

そしてこの2年間、プロ意識ってのが欠けてたかな〜、と感じるに至り。もちろん、ここでの仕事というのが自分がそれまでに経験した内容とは大きく異なるとはいえ、だからこそ現状に甘えてしまってたか、とつくづく反省。

これだけ変化の激しいフィールドで、自分のミッションを把握し、それを実現するためには「秒速」で学ぶ必要はないにしてもある程度のスピードを持って自分の装備を実装しなければならない。自分のカバー範囲が広いとしても、会計は自分の専門じゃない、とか、人事は違う、とかITは分からないし、みたいなことを感じてた。かといって薬学が専門か?と言われると、最近の情勢はあまり分かんないし、中途半端やな〜、って感じて少し凹み。しかし、どの分野もある程度分かる、というのは何かを統合するときには武器になるのだろうし、結局自分がどのポジションにいくかどうか、行きたいかどうか、というところにたどり着くような気がする。

今の自分が経験していること、というのはこれからの20年間を生きていく素材を得ているのであって、それをどう料理して食べるのか、血肉とするのは自分次第。

例えば、ベトナムという共産主義圏において何か交渉をしなければならないとき、理論的に説明するのではなく、例えばお酒を一緒に死ぬほど飲むことが解となるかもしれない。し、そんな回答はビジネススクールのケーススタディには(恐らく)ない。交渉の仕方はシチュエーション次第であるし、それを感じなければならなのだと。しかし、ケースをこなしていると、推測ではあるけれども、この場合は飲みにいくのが正解だ、とか定性的に判断出来るような気がする。それは結局、Issueは何だ、という本質を見抜く力であるのだと思う。

もう一つ心がけたいと思ったのがコミュニケーションの強化。相手を感じ、自分を感じ。なぁなぁでこれまでやってきたけれど、この辺りもそろそろ手がけていかないと行けないんだろうな、と思うに至りました。その中で、空気を読む?という行為は日本人が比較的得意とする領域だとも思うし、読んだ後で、いつやるの?今でしょ!みたいな呼吸もろもろ習得していきたいなーと。

世界は広いし自分は小さい。いろんな生き方もある。いい選択をしていきたいものです、というかあとから振り返ってよかった、と思いたい、ということかな。

2014年4月11日金曜日

Ranbaxyの株価。

7日、第一三共によるランバクシー売却のニュースが世界を巡りました。
第一三共がランバクシーを買収した2008年、ちょうど研究所にいたこともあり、非常に興味深かった案件なのですが、同じ日本の製薬業界のものとして今回のような結果になったことは
非常に残念であります。

複眼経営、というこれもまたなかなかカッコよい言葉で始まった経営方針ですが、始まりもゴタゴタ(リーマンショックも重なる)し、どうやら終わりもゴタゴタしそうです。

個人的な興味もあり、せっかくの大型案件なので、自分なりの数字でも何かはじき出せないかと思った矢先、どうやら株価の動きが何やらきな臭いことがうっすら。と思えばロイターでもこんな記事がでてるし、小保方さんの裏に隠れていますがなんとなく怪しい。含み益などが決算で出るのかな~と思って調べたけれども3月末の株価はあんまりさえない。んー、これはどういうことでしょう、これも織り込み済みの株価上昇なのでしょうか。

そもそも2008年の公開買付の終了わずか1週間でFDAから禁輸処置を受ける、など翻弄されまくったあとの幕引きがこうでは、今のところ上がっている株価もどうなることやら。

複眼で見たつもりが結局、お釈迦様の掌で転がっていた、ということですかね。自分の心配を先にした方がよいですが、3500億円の授業料は、しっかりと日本経済に取り戻して欲しいところです。

2014年4月4日金曜日

工場はいつまで日本にあるのか。

海外に出てみてから、割とこのことについて考えることが多いです。明確な数字がないため議論が出来る状態ではないのですが、今の基幹工場がいつまでも日本にあるのか、どうなのか。

ビジネスシーンでは世界が狭くなった、通信技術が発展していつでも連絡が取れるようになった、だけれども、だからこそ、Face to Faceの大切さが感じられるようにもなってきている。世界がいくら縮まったところで、NYと大阪が30分で行くようにはならないわけで、どうしても物理的な距離は残らざるを得ない状況となります。

今後の海運・飛行機輸送を考えたとしても到底コストが下がるようにも思えないし、モノはそれなりの割合では消費地近くで生産することが必要となるのではないか、と思う。

日本のお家芸であるガラパゴス現象も極小コンデンサーみたいに世界が求められるもので、真似しようのないようなカイゼンを続けると、圧倒的シェアをとれる、というビジネスの難しさを感じます。日本市場ってものは製薬産業においてもガラパゴスで、錠剤の外観検査をとことんやる、とか、ラベルの向きは一定、とか、ロンドレーションに入っている、とか、世界に出ようとしたときには必要のないことばっかりやっていることが多いみたいです。海外だと、プラスチックのブリスターに入ってますもんね、ガラス容器製品。こうしてみると、日本人はあくまで外観を気にして本質のところは素通りのような気がします。見た目の品質は気にするけど、類縁物質を気にしない、みたいな。

消費者が、もう日本製いーやー、と思えばそれまでなのですが、それが人口1億人市場のよくないところで、中途半端に市場があるから、マイノリティでも食えてしまう、というところが問題なのでしょう。ここからは市場の話ですが。

以前受けた研修で、各国(インド、中国、日本、イギリス、その他もろもろ)を選んで、模擬ビジネスをしましょうってことがありましたが、その時、最悪だった結果はイギリスです。

イギリスは日本ほど多くなく、韓国ほど少なくなく、だから結局中途半端で製造業がうまく回らない、みたいな話がありました(真偽不明)。だから、日本は人口は少なくなって2050年には1億人を切るそうですが、それでも日本に工場は残るんでしょう。働く人種は入り乱れる可能性もありそうですが。2050年、もう67歳ですね。

そのころは、いつまでも自分が働いている工場が日本にある、と高をくくっていると痛い目にあいそうです。

(それにしても、フランスも、イギリスも、カナダも、人口、増え続けてるんですね。。。)

2014年3月31日月曜日

8年目と管理職。

いよいよ今年度も終わりを迎えようと桜の花が咲いており、私自身もいよいよ社会人8年めへと突入するところであります。ベトナムの地に足を踏み入れてからはや3年が経とうとし、残るあと3年の任期からすると折り返し地点ということです。また、30歳をちょうどすぎたところで、定年に向けた折り返し地点をまずは順調に走っているところでしょう。

さて、2014年度は自分にとって、ひとつ大きな転換がありまして、本社の職制上、管理職となります。

まま、ベトナムでは室長兼部長と、管理職をしている訳なので今までの仕事内容が大きく変わることはありませんが、本社の職制で管理職になるということは大きな意味合いを持ちます。責任が増える、ということがいの一番に挙げられるでしょう。

ただ、責任が増える、ということは責任のある仕事が出来る、ということで、まだ何も始まってはいないながらも非常にワクワクドキドキ、というのが正直なところです。自由と責任とは背中合わせだとはよく言ったものですが、責任の裏には自由があるんですよね。

今の製薬業界、世界情勢、その他、もろもろを勘案して、どんなことが出来るのか。2014年度、非常に楽しみなスタートが切れそうです。張り切り過ぎてこけないよう、準備運動もかかせません、何事も準備準備。

では、皆様これからもおつきあいよろしくお願い致します。
この雑誌は本文とは関係ありません、念のためw

2014年3月1日土曜日

使命と現実の乖離。

企業を運営するにあたって、当該企業の行動指針や使命、というものを従業員が理解することは、企業サイドにとって非常にありがたいものである、と思います。自分の、あるいは自分の企業が社会へ問う意義、というものを柱に、業務に打ち込め、よりよい社畜になれるもの、と思いますww

社畜になるかどうかは本人のことなのでどうでもいいのですが、使命を振りかざす割に、契約書の内容が全然使命と違うんですけど、というようなこともあるのですね。

ベトナムにおいてはいろいろな人材紹介会社があるのですが、通常契約書に記載のある紹介料は年収の2割であり、仮に使用期間中に、自己都合や能力不足による解雇となる場合は、当該紹介料を大方返金するのが妥当だと思うのですが。実際は違うんですね。

100歩譲って不幸にもこちらの判断ミスにて雇ってしまったけれど、能力不足だから解雇、という場合はいいとして、試用期間中、自己都合による退職の場合でも紹介料は50%しか返せません、ってどゆこと!?というのが個人的な実感です(これが人材紹介業の慣例ならば何も言えません。。)

ただ、ここから考えられるのは、
①ダミー人材を紹介して、紹介料だけどかすめ取るビジネス業態が可能
②しかし、そんなことをすると、口コミで紹介業なんて出来なくなるから、その条項を保っていても信頼するクライアントがいて強気
ということなのかも。

契約書を保守的に読むと、①の可能性を排除出来ず、今回は契約破綻にした訳ですけれど、クライアントが必要とする人材を紹介する、という使命からは契約条項が少し離れているのではないかい、と思ったのです。

というのが日系資本のローカル人材会社だったわけで、こんなものなのかなー、と考えさせられてました。

ということを反面教師に、自社の使命と現実の乖離も検証することに致します笑

2014年2月8日土曜日

働き方を考える。

ベトナムの旧正月(日本の正月休み)ということでヨーロッパを周遊している訳ですが、改めて思うことは、明かりが暗い、ということですね。(夜に営業しているお店が少ない)

話をよくよく聞いてみると、例えばオーストリアでは、金曜日は午前の仕事が終わったらで帰宅することがほとんど、というではありませんか。フレックス、という言葉は聞きませんでしたが、一日の労働時間が決まっていて、各人でそれを守って働けばよい、という考え方の様です。だから朝6時に出社すれば8時間働いて3時に帰宅するし、朝10時に来る人は夜7時に帰ればよいわけですね。

そもそもそのようになったのには理由があるようです。

ヨーロッパでは自動車通勤が多く、例えば過労(2時間以上の残業)で交通事故を起こした場合には、損害保険が下りない(会社側に責任が生じる)という事情があるということです。だから会社としても積極的に8時間勤務で帰宅させる、ということに熱心なんですね。

それでも残業をする、かなりハードに働く、というメンバーは、残業を許されている人、すなわち経営サイドの人たち、という認識です。日本人からすると、若いうちは死ぬほど残業、偉くなったら悠悠自適(あくまでイメージであり実態ではありませんが)、というのとは、労働環境からして真逆、ということのようです。

それでも図の通り、GDP per capitaは欧米諸国がダントツ。。。

長時間労働により成果を出す、現場に負担をかけてなんとか頑張る(自分が休日返上で仕事をしてなんとかする)、というやり方からはそろそろ脱却しないといけないのでしょうね。欧米スタイル学ぶことが多いですが、それをするには、ハッキリとやらないことはやらない、などなどメリハリをつける必要があるのでしょうか。考えることは多いですな。

2014年1月25日土曜日

転職をするか否か。

今週、わりと仲良くしているHHの方より転職の案内をいただきました。(もしかすると同じ案件で話を受けている方がいらっしゃるかもしれませんが)普段はすぐに断るのですが、今回はなかなか面白そうだな、と正直感じています。

ベトナムでは転職する場合はほぼ間違いなく「カネ」、という理由が多いのですが、私にとっては舞台が変わる、ということが一番の興味を沸き立たせてます。今の会社に大きな不満がある訳ではなく、むしろ恵まれた環境で仕事が出来ている、とつくづく思ってはいますが、製造中心で製薬業界に関与するよりも、もう少し病気に近いところで仕事がしたい、ということは常々感じていることです。今受けている話は、まさしく日本にない薬を届けるなんて言う内容で、実に面白そうだと思っています。

ただ、そういう環境で自分がやっていけるのか、という漠然とした不安もあって、どういう風に自分の役割を演じて会社に貢献していくか、ということが見えにくいけれど、そういうことも含めて経験+今後の成長に繋がっていくのでは、と感じますね。

ま、海外で仕事がしたい、ということを考えると、外資系企業での日本人の立ち位置はあくまで日本市場に特化する訳なのでなかなかそういったチャンスがなくなることも考えられますし、自分の軸の中で何がもっとも重要なのか、ということをブレずに考える必要がありますね。

さてさて、どうなることでしょう。

2013年12月11日水曜日

評価の相対vs絶対。

年度末ということもあり、人事考課について考えることが多いのですが、評価と実力には3年のギャップがあるものだ、という話を聞き、「なるほどなー」と思う反面、日本的だなぁ、とも少し感じ。
ベトナムでは3年後のキャリアと給与より、今のキャリアと給与が大事ですもの、ふむ。

さて、日本で仕事をしているときを思い出すと、我ながら尖がっていたなぁ、と思うことがあり、自分の受ける評価について考えることもあったのですが、ベトナムに来て自分で会社立ち上げをやって、そんなときに他の企業の方々にお目にかかりますと、「自分、まだまだだな」と思い知らさせることがかなーりあります。なーんだ、自分、全然ダメだな、と。適切に、そして謙虚にいかないとダメですね、人は。

さてさて、組織内での人事考課を考えると、その軸はあくまで「相対的」であるべき、という考えを頂きました。学校での成績を付ける際、「5」は何人などなどあるわけで、評価における相対性というものは当たり前なのですが、これまで評価をした経験のない私は、なんとなく絶対性を求めていたような気がします。

学校、企業、など、単一の組織の中での相対評価、というものはもちろん大切だと思うのですが、大学で研究室に入った場合など、研究室内での評価というものには、論文のIFや引用数などの絶対性を考える必要があります。

企業においても業績というものは絶対的な数字としてあらわされる訳ですが、それを参考に、定性的な内容も加味した上で、相対評価というものがなされていると思います。経営陣は、他社がどうであったって株主からは絶対的な評価を求められる訳ですから、絶対評価というものは法人の長が受けるものかと思います。「不景気だから業績が悪いです」、「え、だから何?」という話ですね。

私自身、これからは評価を受けもするし、評価を実施もするし、その中で考えることが増えそうだとは思いますが、常に妥当性を持って判断をしていければ、判断されれば、と思います。そして出来るだけ妥当な判断の出来る組織を作っていかないといけないですね。

2013年9月24日火曜日

首相の目の前で。

気づけば前回のアップから40日、時の経つのは早いものです。さて、一週間前の話ですが、VSIP Quang Ngaiという工業団地の起工式に参加しました。VSIPというのは、Vietnam Singapore Industrial Parkという工業団地の略称で、ホーチミンに2カ所、ハノイ近郊に1カ所、ハイフォンに1カ所、と全国チェーンの成功した工業団地です。

名前の通り、ベトナムとシンガポールを挙げての工業団地であり、ベトナム側は大手ディベロッパーのベカメックス、シンガポール側はテマセク傘下のセムコープが出資してます(三菱商事も参画)。1996年から始まったプロジェクトで成功が続き第5サイトまで継続中。

さて、余剰資金の少ないベトナムでは、狭い割に南北に長いため全国を網羅するインフラを整えることが出来ません。日本は鉄道会社が路線網を引いたおかげで強靭なインフラとして今も残っておりますが、インフラがあった場合、次に鉄道会社がしたことはデパート、街の形成。インフラを構築して人が集まることが出来て初めて商業が生まれる。

翻ってベトナムにおいてはインフラがない(だからバイクに乗る)。どうやって人を集めるか、ということで工業団地を作るんですね。まず仕事を作って、そ
してその周りに街を作る。そういうスキームでやる場合は工業団地もあくまで周りに形成される住環境を汚さないクリーンである必要があります。というのがVSIPの特徴。だから医薬品製造などは推奨されます^^

今回のQuang Ngaiの話に戻しますが、これはダナンから南に120km下った都市で、まだまだ農業、漁業中心の場所です。最低賃金もレベル3で、月額最低給与が80USD程度と安価。セムコープは火力発電所も建設している最中なので、ここらのインフラを一手に請け負って街自体を形成するつもりなのでしょう。水を作る事業、も今回の目玉慈善事業としてやるみたいだし。

「家まるごとパナソニック」もすごいとは思うけど、「都市まるごとシンガポール」というのは規模が違う。それをやりきるディベロッパーのノウハウ(気力?)はすごい。事業、というよりは投資、という方に近いのかも知れませんけど、内に向けないだけに外に行っている。

今年は日越友好40周年記念、といろいろとめでたく盛り上げてはいるけれど、40年前の1973年はベトナム戦争終結(パリ協定)の年。日本だけでなく十数カ国との国交を樹立しています。もちのろんで今回のシンガポール首相のスピーチでもそういう旨のことが言われるわけ。

昨年の祝辞、今年の祝辞、来年の祝辞でも言われて、その間にまたほかの記念の年を持ってくるってことでしょうな。来月、いよいよ本格的に忙しくなりそうです。いかに乗り切るか、笑って、というか微笑んで進めていきたいと思います、そう、内心怒っていたとしてもね。

2013年8月9日金曜日

ねじをまく。

相変わらず組織運営に四苦八苦しております。

ちょうど今日見た記事ですが、ソフトバンクアカデミアでの孫さんの話。「将棋の王将は360度動ける。資格がないというのは王に重要な要素。技術も会計も資金繰りも英語も、なんでもできなければならない。

本当ーーーにそう思います。実感として。
日本から、ベトナム人スタッフから、会社を回しているとあらゆる角度からいろんなものが飛んできます。ベトナム○○局なんてところからも通達が来たりなんたらかんやら。基本的には即断即決を心がけておりますが、中にはダメージを食らうものもあるわけです。

ただ、個人的には王には死角がない代わりに歩みも遅い、と思うんですよね。だったら、何かに秀でた飛車や角になって、そのあとに敵陣に入り込んで竜王になったりする方がスピーディーで好きです。社長(王)になって責任もってやりたいことやる、って面白そうって思ってたけれども、それなりにやりたいことが出来たら社長よりも飛車角の方が面白いんじゃないかって思ったりもする。

ま。管理部責任者である以上、組織づくりはしっかりやろうと思っているので、これからは日本人、ベトナム人に対する要求レベルを上げていって、金銀桂香飛角などなどベトナム法人から輩出された人材を社内ブランド化できるように取り組みます。そのためにはまずは自分がやらないとね。

2012年の8月8日は地鎮祭。1年経って、さあどうだ。これからが本番だ。ねじ、まいていこ。

2013年7月27日土曜日

組織を作る。

いよいよと工場完成も間近となり、組織を作る段階になって参りました。8月1日で赴任してから丸1年となりますし、8月に雇用した2名の従業員もずっと僕についてきてくれたことになります。はじめは1人から始まったオフィスも活気があふれておき感慨深いものがあります。

さて、現在は僕の下に4人、その他7名のベトナム人を採用しており、今後の本格稼働を見据えてどんどん採用していく必要があります。ただ、会社を作って仕事をまわしていこうと思うと、「やる気があります」、ではなくて、「これが出来ます」、とかそういうメンツが必要です。ビギナーをゆっくりと育てていくヒマないし、当面はある程度のプロフェッショナルを採用することが前提となります。しかしながらベトナムでの医薬品製造規範は依然としてWHO-GMPであり、こと医薬品製造に関する人材に関しては、「ベトナムではプロ」、という人材でも物足りない部分があり、PIC/SやcGMPに対応しようとするとなかなか難しい。なので、「これが出来ます」+「医薬品がやりたいです」という要素の強い人を選別して組織に入れ、その人たちが最大限働きやすい職場を提供することを念頭に考えています。

これからどんどん従業員を増やしていく場合には、それぞれの役割に見合った人を採用したい、し、採用される方もそのように願う、と思う。最低限の生活もままならない場合はなんとかして高い給与が欲しい、と思うだろうけれどもある程度までの給料ならば、環境のいい会社で働きたい、自分のやりたいことをしたい、という人が増えてくる。そういうときに、ベトナムにおける医薬品製造、というのは社会貢献度が非常に高く、医療が不十分なベトナムにおいて、医療関係の仕事がしたい、というモチベーションに十分なるのではと思っています。

しかし最近「自分が本当にやりたいことは何ですか?」というのは究極の疑問だとつくづく思っています。月に一度の従業員面談では、自分の会社の中にある仕事の範囲の中で、やりたい仕事を吸い上げ、不満を吸い上げ、社内を調整してできるだけ改善するようにしています。ベトナム人はキャリア志向が強いので、自分の仕事はこれ、というのをあらかじめ決めたりする傾向があり、管理する側としてはそんなこと言わずにいろいろやってよ、とお願いしてますがそれをお願いするのは手間でもあります。そういう点では日本人はいかに仕事を受け身でやっていることが多いか、と感じます。その結果の多能工、なのでしょうか。

翻って今、僕自身がやっている仕事は本当に自分がやりたい仕事なのか?と言われたら、「んー、どうでしょう」と答えます(笑)。しかし僕の軸として興味があること、というのは、「ヘルスケア(出来れば薬)」と「アパレル」。
気づいてみると、「イリョウ(医療⇄衣料)」ということに集約されるのかも知れません。経験も構想も人徳も全然足りないので独り立ちなんかは出来ませんが、まずはやりたいことをやるベトナム人を眺めながら今の環境を十分に楽しんで、
一つのことを成功させてみたいと思います。


2013年7月6日土曜日

事業環境と共通項について考える。

窪田さんを中心にした勉強会に参加してきました。本来帰国予定はなかったのですが、無理やり予定を詰め込んで帰ってきました、東京。ですが、どんなことをしてでも帰ってきた方がいいと感じましたね。前回、「極めるひとほぼどあきっぽい」について書かせてもらいましたが要はその著者の方との勉強会・2次会です。(その他ウレシイことも2点ほど)。

感じたことは多々ありますが、米国の事業環境ってすごそうだな、そこで仕事をしてみたいな、というのを率直に感じました。 ベトナムで会社を動かしていると、法律や各種規制を熟知した専門家、ってそんなに多くなく、それよりも誰々をよく知っている、とか、そんな話をよく聞きます。もちろん各種法律を知っていて、という素晴らしい人もいることにはいるのですが、少数でしょう。 (主観的意見です)。それよりも規制と袖の下は表裏一体ですから、そのことによる恩恵を受けることに執着している人も多いでしょう。

アメリカの場合だと、 それぞれのProfessionalがいて、各Job discriptionに従って採用すれば、本当に優秀な人を集めることが出来そうです。法令など各種事業環境も整っていて実力勝負、速さ勝負、みたいな、本当にサバイバルな環境にあるんだと感じました。だからこそリーダーとしてそれらの人を束ねる場合は、少なくともメンバーが言うことを理解する素養、分からないことは教えてもらう謙虚さ、それらを統合する頭の回転の速さ、必要な能力が山ほどあるんだろうと感じます。

だけれども、自分がリーダーとして引っ張っていく場合、少なくともメンバーはその背中を見てついてきてくれる訳だし、ベンチャーにせよ、大企業にせよ、その背中が信用できるものでなくなったら、ついてこないこないのが普通かと思います。それは会社の社風も含めて、この人と一緒に仕事がしたい、とかこの会社が好きだ、とか、そういう気持ちを社員に持たせることが必要。そういう点は恐縮ながらも共通意見であり、その方向で進めたいと思います。

事業環境を比べると、それぞれの国の道路事情によく似ているのではないか、と思います。アメリカはだだっ広いハイウェイで、乗るも降りるもフリー。日本は、比較的早く走れるけれどもその流れは細く、その上、山や谷、曲り道(規制?)が多く、思ったほどスピードが出せない。ベトナムはそもそもハイウェイがない上に、 バイクに邪魔されたり、石が落ちていたり、牛が出てきたり、とおそらく先進国では予想外のトラブルや人的災害が起きる。だからスピード感も非常に遅く、実際一つのレターを出して問題解決するのに1か月以上かかることもある。スピードの速いアメリカベンチャーだと1か月というのは致命的なほど長いのではないかと思います。

ただ、先進国のスピード感についていけない人、新興国の未整備さについていけない人、いろんなタイプの人が世の中にはいるとは思うけれども、自分自身はオフロードのようなベトナムだけれども俄然として早く走れるようになりたいと思う。みんなが50km/hで走っていることに慣れたら、200lm/hで走っているアメリカ(例えです) では、もう走れない。僕はまだ早く安定して走れないけれど、今回の勉強会なんかは200km/hで走っている人たちの後部座席に乗せてもらってそのスピード、マインドといったすごさを体験させてもらったから本当にかけがえのない経験でした。


なんだかたとえ話に話がずれてしまいましたが、共通なことは自己実現欲が高い人がいるということ。高い給料に心動かされる人はいるけれども、これまでこんな経験として「うちの会社に入社して、自分の実力を試したい」というマインドを持った人もいる。そういう人に対しては、ベトナムの中では少なくとも優れた職場環境とゴールを提供して、一緒に走っていきたいと思うし、それで会社と国が発展すれば、もう何も言うことはないし、そこでする自分の仕事ももう終わりになる。そのときを楽しみにあと4年間はここで頑張ろうと思う。

余談だけれども今回ウレシイ2つのことは、
①このブログ(knoblog)を楽しみに読んでます、という人に出会えたこと。
②将来、ウチに来る気はないか、とお誘いを受けたこと(半分冗談かもしれないけれど)。
僕は窪田さんと違ってあまり物事を極めずに生きてきた30年間だけれども、これからはそのマインドセットも変換し、まずは現在の仕事内容には出来るだけ極めようと努力はしてるし、HHのお誘いがあればその時、そのリクエストに応じれるだけの実力を備えたいとも思う。

上には上がたくさんいる、下には下もたくさんいる。自分の視野をどう向けるかで人は変わると思う。またまた余談ですが昨日は2時間しか寝てなかったけど夜の部は19時から25時まで全く眠くなかった、やっぱりやりたいことをやるのがいいんでしょうね、きっと。

2013年6月15日土曜日

極めるひとほどあきっぽい。

日本に一時帰国しまして、ようやく手に入れました。バイクラの中では有名かと思いますが、ひさびさに本のご紹介。

帯の通り、学者・医者・ベンチャー社長・その次は??という窪田さんの自叙伝です。現在、窪田さんは経口AMD治療薬の開発をされている会社の社長さんです。

人の批評をしてもしょうがないですし、本の内容をこと細やかに書いても今後読まれる方に悪いので、興味はないかもしれませんが、この本を読んで感じた自分のこれまで、なんかを考えてみました。まぁ自分なんぞは自叙伝を書くこともないでしょうし、これを機に振り返ってみるのもよろしいかと。

自分の特徴、というのは、いつでも本気になることなく、どこかしらに逃げ場を作ってこれまで生きてきたような気がします。 というのも、「自分はまだできる」という可能性を残して本気で取り組まず、言い訳を探してこれまでの30年間をそのように過ごしてきました。マラソンでもぶっ倒れるまでスタミナを使い切るのではなく、1番でなくてもゴールした時に余裕を残すような、そんな感じです。

これまでピアノ、フルート、サッカー、バレーボール、バスケットボール、テニス、洋裁、英語などなど、好きだと感じたことはたくさんやらせてもらってその環境には非常に感謝しています。

しかし、趣味やスポーツを例にとった場合でも、やりたい、本気で何とかしたい、と思って取り組む、というよりは、自分にできる、性に合っている分野のみ比較的取り組む、という傾向があったなぁと感じてますし、今もそうだと思っています。それはそれで生き方なんだと思いますが、その点でもまだまだ「逃げ」の姿勢があるなぁと感じます。大学院を修士で卒業しようと思ったのも研究の成果が芳しくなくあきらめのようなものがあったと思いますし、かといって就職活動も思うようにいかず研究職を半ばあきらめ、望んだことではありますが今では企画部門や管理部門の仕事に従事するようになっています。

なので、基礎的なものもおろそかにして応用ばかりに走ってしまい、振り返ってみると何もない、みたいな虚無感、というものを感じることも少なからずあります。ですので最近は人事・労務・経理・法務などなど初歩的ではありますが基盤を固めることを目標にしております。


そんな私と比較してみると、それぞれのフィールドで超一流の成果を出してこられた窪田さんなんてスーパーマンですが、これからの社会人生において一つでも二つでも妥協をしない生き方、というものをしていければなぁ、と感じる次第です。

まずはベトナムで世界一の製薬工場の立ち上げ、運用をしたいですね!

2013年6月8日土曜日

経理、会社やめるってよ。

ハイ、出落ちです。

5月はいろいろとゴタゴタしてしまい、あっという間に1か月過ぎてしまいました。ただいまハノイのラウンジなのですが、暇すぎるのでひさびさのアップです。

ベトナムでは離職が日常茶飯事ということは聞いていましたが、弊社でも創業1年目にして早々の離職者が出てまいりました。本当の理由はわかりませんが、説明上は家庭の事情、ということです。ベトナムで家庭の事情や健康上の問題などでやめる場合、ほとんどのケースは転職してほかの企業にいることが多いようです。他社に行く場合でも、正直に言ってもらう方がこちらも助かるのですがね。

 ということで、1名しかいない経理課員にやめられてしまうのでは弊社の経理体制がガタガタになっていしますので、対応策として早々に1名採用しました。ただ、アドミ部分に関しては辞職というのはポジティブに感じるところもあります。

そもそも、ベトナムの就職・転職事情については前々から知っていたことですし、私自身もスタッフがずーーーっと勤めてくれると思っているわけではありません。勤めてくれる方がベストではありますが、そうなってくるとどうしても人に仕事がつくようになる可能性があります。

通常は、部署に対して業務を課すべきであり、そうしようとすると、業務分掌で業務内容を規定し、SOPなどで業務手順を規定するのが最善と考えます。私としては離職率が高いことを踏まえ、初期の段階からSOPを自分の管轄内については作成させていましたが、どうも担当個人しかわからないSOPのように見えてしかたありませんでした。ですので、この機会に新しいスタッフが内容を理解し、より一般的なSOPへと昇華させて、内容を修正してくれることを期待しています。そこがいい点です。


まま、新興国での仕事、というものは日本では考えもしない、しょうもないことに時間を取られたりするのですが、もうすぐマネージャ職1周年となりますので、もうすこしマシな仕事ができるようにしたいですね。

あと数か月すると本格稼働が控えています。管理部長として、会社インフラの構築に尽力したいと思います。

2013年4月29日月曜日

Pfizer Incのケーススタディ

かつて通っていた民間ビジネススクールの方々とファイザーインクに関するケーススタディをすることになり、目下締切を目指してコンサル業的なレポートを作成しております(こんなことを書く暇があったらレポートしなきゃならないんですが。)

私自身、昨年ベトナムで法人設立してからはや1年が経過しており、会社も比較的安定的に操業しているのではないかと感じています。第1ステップの自分の立場としては及第点なのではないかと自己評価しております(余地はまだありますが)。

そこで今回改めてファイザーのケーススタディ(IVEY製)に臨んでみると、自分の仕事の枠の小ささを改めて感じるとともに、このような視座の異なる議論もしなきゃならないなぁと感じたわけです。

そもそもファイザーなんて世界一の企業であり、そのCEOであるJeff Kindlerの打ったアクションについての評価と彼へのコンサルティング、というのはばかげた話です。弁護士であり、長年経営の経験を積んだ人に新米コンサルタントがかなうはずもありません。しかし、彼がどうしてそのように「判断・決断」したのかを探り、今後はどうするべきか、を提案する、というのは非常に面白く久々にわくわくしました。またファイザーはアメリカ企業なので、その課税体系やうちのようなGE企業ではあまり耳慣れない無形固定資産(特許権など)の償却なども考える必要がありそれも新鮮。

スクールに通っていた時(研究所時代)と違い、今ではある程度は自分の会社について多少の判断もできる立場になり、そのためにはどのようなファクトが必要でどのようなロジックが必要か、ということを考えてはいるものの、目の前のスピードに対応するために手抜きになってたかな、と内省もしております。

こういうケーススタディをすると、それぞれ学ぶべきトピックがこそっと設けられてるんだと思いますが、素材にB/Sがないのかよ、とかC/Fもつけといてよ、とか余計な文句も出てくるようになりましたが、いろんな経験をして少しでも前進できればなぁ、と感じております。

さて、今回の私の施策とKindlerのアクションがどれだけ共通点があるか、そして今の株価、調子はどうか、私がうまいことロジックに基づいて判断できるのか、楽しみ楽しみ。

2013年1月11日金曜日

共通言語について考える。

たまには定期ポストとして金曜日にアップデートします。皆さんご存知のとおり私はベトナムで会社勤めをしている訳ですが、これから日本人も増えてくると大変になるのがどの言語を共通言語として使うか、ということと思います。

私は英語でやる、のが最もいい、と感じてます。
特に最近そういう思いが強く、なぜなら海外でのやり取りはすべて英語だから、です。契約書の内容をいちいち和訳したりするとそれだけで世間のスピード感に取り残されてしまいます。またプレゼンなんかもそうで、ただでさえ時間のないエグゼクティブたちに翻訳を聞いている時間はきっとないでしょう。海外のスタートアップ企業では、毎日判断の連続で、スピーディにやるかを考えると、英語のまま、が望ましいと感じます。ましてグローバルカンパニー、グローバルファクトリーと目指すのに日本語で運用してたら、ですね。

さて、直近の日経新聞では、楽天の「英語化」について記載されていました。特に筋金入りの英語ぎらいだった常務が英語を勉強してTOEIC800まで持っていく話など、率先垂範のいい例であり、私なりの理想像が書いてあるなあと感じました。学歴が高い人でも年をとっている人でもなく、結果を出している人に言われると、効果覿面ですよね。こんなことを思って数日で、今日はソフトバンクがTOEIC900だったら100万円、とあったので、頑張ったら100万円もらえる、ような制度は素晴らしいの一言です。

ただ、足下を見てみると、そんなお金もなく、英語をほとんど使ったことがない日本人の赴任も控えている訳で、それをどうやりくりするか、というのがミッションなわけです。自分の英語もまだまだ改善の余地が残されまくってるのであわせて検討しよう、ということで、知り合いの妹が経営している英語塾を見学に行きました。

そこはもちろんベトナム人対象の英語塾なのですが、通常の生徒は1週間に3日間通うそうです。僕が見学したときに隣に座った男の子はまだ12歳でスクールに通って2ヶ月と言ってましたが、普通に会話を聞き取っているように感じました。日本の塾ってせいぜい週1日ですが、入れられるときに一気にインプットする、というやり方はヤングには向いていると思います。

かくいう私はまだまだセミヤングですが、来週から週1日、フィリピン人の先生にマンツーマンで教えを請おうと考えている次第です、ハイ。これからは、仕事ができるけど英語ができません、は通じない時代でしょうね。英語ができないだけで、まわりのスピードに取り残されるんですもの。

2010年2月27日土曜日

企業内研究所は必要か。

あくまでの製薬業界に関してのお話ですが。

20世紀最大の発明、というのは「企業の中に研究所が出来たことである」、という話も聞きますが、今のような企業内研究所が当たり前の時代では、なんだか信じられませんよね。

そんな20世紀最大の発明のはずの企業内研究所ですが(確かアメリカのベル研究所が初めて)、製薬ビジネスにあっては至って成功の事例が少ないことは周知の事実。実際私は、革新的新薬の創造を目指す企業内研究所に勤めたことはありませんが、友人や先輩後輩がそういう場所で働いているので、危惧するばかりです。

たとえば2011年にタケダが湘南に移転する際に(これがちょうどアクトスの特許切れとリンクする)、筑波研究所と合体するし、人的削減をするなんてことは十分にあり得ること。(その頃には営業利益が1000億ぐらい減るし)しかも今後の開発品のほとんどが導入品なんて話になれば、研究所の価値は無いわけで、大幅に固定費がカットされること必死でしょう。

そうなると、おんぶにだっこだった研究者は憂き目を見ますし、そうなる前にどうする、ということを当然考える訳です。

どうせFireされるんなら、早いとこMRとか開発に移って、研究所での視点や考え方を生かす方が妥当な気がします。才があるならどんどん研究した方がいいんでしょうけど、難しいでしょうね。環境がそうなってないですし。

あ、あとは、製剤技術を極めるのもひとつかもしれません。製剤ってのは一朝一夕には身につけられなくて、いわゆる職人の域だからです。

話変わりますが、この10年の新薬を見てみると、抗体医薬なんて完全に時代の最先端技術であったわけで、そういうものの大半は大学で創造されてきます。企業にはそういう視点が少なくて、いくら必死に過去のやり方を引きずって頑張ってもそんなんはほとんどドブに捨ててるのと同じってことになってるはずです。そういうところに資本を投下するんであれば、大学の研究室集めてビジネスコンペを行って、一件あたり500万位で募って芽をどんどんガメるってほうが良さそうな気がしますね、個人的には。科研費も少なくなるそうですし、意外と安い買い物が出来るかもしれませんよ。

2010年2月26日金曜日

第一三共。


「おっ、第一三共。」
のCMでチョリってる会社ですが、
とうとう後発市場も荒らしに来ましたね。

日経の一面に出てました。
たぶん日経の記者がすっぱ抜いたものなんでしょうが、
第一三共側も、すかさずHPにて「弊社からの報道ではない」といいつつ、

 「第一三共エスファ㈱」

の設立などなどあわただしい組織改革が表に出てきました。
「Established Pharma」のエスファなんでしょうが、
やっぱり第一三共のブランドはしっかり保ってきましたね。

こういう動きを念頭において、

 「おっ、第一三共」

のCMを打っていたと思うと、Mr庄田の戦略に感服します。
これでマーケットが広がれば御の字ですが。