2014年3月31日月曜日

8年目と管理職。

いよいよ今年度も終わりを迎えようと桜の花が咲いており、私自身もいよいよ社会人8年めへと突入するところであります。ベトナムの地に足を踏み入れてからはや3年が経とうとし、残るあと3年の任期からすると折り返し地点ということです。また、30歳をちょうどすぎたところで、定年に向けた折り返し地点をまずは順調に走っているところでしょう。

さて、2014年度は自分にとって、ひとつ大きな転換がありまして、本社の職制上、管理職となります。

まま、ベトナムでは室長兼部長と、管理職をしている訳なので今までの仕事内容が大きく変わることはありませんが、本社の職制で管理職になるということは大きな意味合いを持ちます。責任が増える、ということがいの一番に挙げられるでしょう。

ただ、責任が増える、ということは責任のある仕事が出来る、ということで、まだ何も始まってはいないながらも非常にワクワクドキドキ、というのが正直なところです。自由と責任とは背中合わせだとはよく言ったものですが、責任の裏には自由があるんですよね。

今の製薬業界、世界情勢、その他、もろもろを勘案して、どんなことが出来るのか。2014年度、非常に楽しみなスタートが切れそうです。張り切り過ぎてこけないよう、準備運動もかかせません、何事も準備準備。

では、皆様これからもおつきあいよろしくお願い致します。
この雑誌は本文とは関係ありません、念のためw

2014年3月16日日曜日

次の50年へ。

実家に転がっていたバッジの写真がiPhoneの写真を整理していたら出てきた。色が一つかけているものの、50年前のデザインが今も通用するほど美しく、しかもつくりも強固だ。
これは2年前に撮った写真だけど、そのときは2020年に東京オリンピックがあることも分からないし、今のベトナム工場だってまだ跡形もなかった。

ベトナムでは今のところ外資に認められている土地の使用期間は50年。ちょうどオリンピックが開催された時を今とすると、50年後のベトナム人、ハイフォンの人は、うちの会社をどのように感じるのだろうか。

今、うちの会社の若いスタッフもすっかり祖父・祖母になる年頃だろうし、もしかするとその子供がマネージャークラス、その孫が新入社員、みたいなことも十分に起こりうるのだろうと思う。

ベトナムという国がどうなるか分からない、自分の会社がどうなるか分からない、という不確実な状況ではあるものの、確実に少しずつでもやらなければならないのは、人の育成、だ。

「おばあちゃんがね、最初に会社に入ったころは赤い眼鏡をかけた口うるさい日本人がいてね、何度もやめようと思ったけど、ずっとそこで働いたおかげで、私もいろんなことを学ぶことが出来てね、これが外資の働き方か、とつくづく思ったものよ。それからベトナムやハイフォンの医療水準や医薬品水準が上がってね、それはその会社で働いててよかったよ。」というような、エピソードのひとつやふたつが30-50年後という長いスパンの中で紡ぎだされると本当にいいなぁ、と思います。

そのためには設立メンバーの一員として、人を育てること、会社内だけでなく、会社外の学生への教育をしたり、という活動も必要だと思う。

そして人を育てていくと同時に、会社の礎となる文書類について統一された基準で揃えていく必要もある。人を育てる反面、人によらない会社運営をしていけるような配慮もしていかないと。

もうすぐベトナム法人が設立して2年が経とうとしていますが、本当にTime Flies.自分に残された任期はあと3年しかありませんが、このまま起動に乗せていって、帰るフライトでは泣けるくらいの思い出と成果を残していきたいと切に思います。

長いスパンで物事を見ながら、目の前の1秒1秒を大切に、と。 

2014年3月11日火曜日

素直であること。

生きている上で素直である、ということは非常にかけがえのないことである、とつくづく感じる。もちろん素直、といっても文字面どおりではなく、いろんな要素を含んではいるのだけれども。

人は学習する、という前提に立つと、誰かしら先達に助言や指摘を受けたときは、それに従う、あるいは咀嚼して従う、ということが求められる、と思う。しかしそれが自分と異なる考え方であれば議論してもいいし、それをそのまま従うことが「素直」とは思わない。結果的に得られるものがあればよいと思う。そのためには自分の意見をもっとかないといけないし、白紙状態ではいけないのかもなと思う。逆説的ではあるものの素直であるためには、たまには素直でないことも必要かもしれない。あくまで対象の問題。

冨山さんの記事を読んでみて、素直であればこういうことにも繋がるんだろうな、と感じた。ポジションが仮に低くても、すごいと感じる人は単純にすごい訳だし、単純に役職が高い人がすごい訳ではなくで。その辺りを感じるためには自分も磨いておかなければならないのであろうと。だから、誰彼かまわずヘコヘコする営業の人には辟易する訳で(ボクに対する適切な対応があるだとう、と)、だからといってドヤ顔高慢ちきな方ではなく、「あ、この人いいな」と感じさせる人が営業なんだと勝手な解釈をしたり。冨山さんのポストに対しては、あいつに任せると大丈夫だ、みたいな評価がもらえたらな、と。

話がずれたけど素直、という点で思うのが、自分が素で気がおけない人たちと、自分が素になれて単純に愉しいと感じ、すごいと感じたり、そういうことを自由に喋ったりできる、というのは本当に素晴らしいものだなぁと。幸いにも、自分にはそういう人たちがベトナムにも日本にもその他の国にもたくさんいて、本当にありがたい。

自分に素直に、謙虚に、これからも前に進んでいければと思います。
本当にまとまりがありませんが、ぼやっと感じることをぼやっと。

2014年3月1日土曜日

使命と現実の乖離。

企業を運営するにあたって、当該企業の行動指針や使命、というものを従業員が理解することは、企業サイドにとって非常にありがたいものである、と思います。自分の、あるいは自分の企業が社会へ問う意義、というものを柱に、業務に打ち込め、よりよい社畜になれるもの、と思いますww

社畜になるかどうかは本人のことなのでどうでもいいのですが、使命を振りかざす割に、契約書の内容が全然使命と違うんですけど、というようなこともあるのですね。

ベトナムにおいてはいろいろな人材紹介会社があるのですが、通常契約書に記載のある紹介料は年収の2割であり、仮に使用期間中に、自己都合や能力不足による解雇となる場合は、当該紹介料を大方返金するのが妥当だと思うのですが。実際は違うんですね。

100歩譲って不幸にもこちらの判断ミスにて雇ってしまったけれど、能力不足だから解雇、という場合はいいとして、試用期間中、自己都合による退職の場合でも紹介料は50%しか返せません、ってどゆこと!?というのが個人的な実感です(これが人材紹介業の慣例ならば何も言えません。。)

ただ、ここから考えられるのは、
①ダミー人材を紹介して、紹介料だけどかすめ取るビジネス業態が可能
②しかし、そんなことをすると、口コミで紹介業なんて出来なくなるから、その条項を保っていても信頼するクライアントがいて強気
ということなのかも。

契約書を保守的に読むと、①の可能性を排除出来ず、今回は契約破綻にした訳ですけれど、クライアントが必要とする人材を紹介する、という使命からは契約条項が少し離れているのではないかい、と思ったのです。

というのが日系資本のローカル人材会社だったわけで、こんなものなのかなー、と考えさせられてました。

ということを反面教師に、自社の使命と現実の乖離も検証することに致します笑