2013年6月30日日曜日

上海、中国。

行ってきました、中国上海。初めての中国でしたが、タクシーにぼられた以外はまぁまぁといったところでしょうか。

まず驚いたのが空気の汚さ。さんざんニュースではやっていますが、ベトナムなどとは比べ物にならないほど汚い、というか遠くが見えない。笑い話ですが、窓の外を少し見てて、Landingのアナウンスが出てもずっと雲の中だなぁと思ったら突然の着陸!霞すぎて陸が見えていませんでした。加えて、かくしゃみがでる、目がかすむ、目やにがでkる、などの身体的異変も感じながら生活しました。

上海は高層ビルも多く、リニアモーターカー(Maglev trainと言うそうです。中国語では磁浮)近代国家であることは感じるのですが、近代的な空港なのに雨漏りしていたり、立派なホテルの部屋で雨漏り(水漏れ?)していたり、日本人が完璧を求め過ぎなのか、どうも少し物足りない、儚いように感じました。ただ地下鉄の発展、車社会、というところはさすが上海、とうならざるを得ない点でしたが、黄浦のネオンなどなどはミッションインポッシブルⅣで見た程の迫力はなく、想像よりはおとなしめでした。それでも十分にギラギラはしていますがね。

意外だったのがお店が少ないこと。デパートなどは多少ありますが、景観上禁止されているのか路面店が非常に少ないと感じました。普段ベトナムで見慣れているケータイショップなどひとかけらも見ることはありませんでした。

さてさて、都市の違い、人柄の違いなど様々な点がありますが、中国に住むのであればベトナムに住みたい(もちろんテンポラルですが)と改めて感じました。いい国です、ベトナム。だてに洋さんも縦断しないですよね。

2013年6月19日水曜日

水曜どうでしょう。

ようやく見終わりました。
Last Run 1800km ハノイ〜ホーチミンの旅。

よくよく見れば2002年7月の旅でしたのでかれこれ11年前の映像。ただ現地に1年住んでみた感想としては11年経過してもほとんど変わっていません、ベトナム。

ホテルニッコーハノイ前からスタートする訳ですが、その映像もほぼいまと同じ。信号が出来たり、建物が新しくなったり、車やタクシーが増えたことを除けば交通マナーも含めて全く変わっていません。このDVDを見れば、今のベトナムもほとんど理解できます。

大泉洋さん、このときアラサーなんですね。そう思うと感服してしまいます。それくらい面白い。

このDVDを見て印象に残った場面は「水曜どうでしょう、が各地の民放で再放送され指示されているのは、我々が新しいことをやってないからだ」というですが、新しいことや変わり続けることが求められる中で、新しいことをせず、未来を予見するでもなく、ただただ面白いことが出来るのは本当にすごいと思います。

さて、これを見てベトナムに行きたいと思った方は早めに来てください。最近はベトナムもかわりつつありますので。

2013年6月15日土曜日

極めるひとほどあきっぽい。

日本に一時帰国しまして、ようやく手に入れました。バイクラの中では有名かと思いますが、ひさびさに本のご紹介。

帯の通り、学者・医者・ベンチャー社長・その次は??という窪田さんの自叙伝です。現在、窪田さんは経口AMD治療薬の開発をされている会社の社長さんです。

人の批評をしてもしょうがないですし、本の内容をこと細やかに書いても今後読まれる方に悪いので、興味はないかもしれませんが、この本を読んで感じた自分のこれまで、なんかを考えてみました。まぁ自分なんぞは自叙伝を書くこともないでしょうし、これを機に振り返ってみるのもよろしいかと。

自分の特徴、というのは、いつでも本気になることなく、どこかしらに逃げ場を作ってこれまで生きてきたような気がします。 というのも、「自分はまだできる」という可能性を残して本気で取り組まず、言い訳を探してこれまでの30年間をそのように過ごしてきました。マラソンでもぶっ倒れるまでスタミナを使い切るのではなく、1番でなくてもゴールした時に余裕を残すような、そんな感じです。

これまでピアノ、フルート、サッカー、バレーボール、バスケットボール、テニス、洋裁、英語などなど、好きだと感じたことはたくさんやらせてもらってその環境には非常に感謝しています。

しかし、趣味やスポーツを例にとった場合でも、やりたい、本気で何とかしたい、と思って取り組む、というよりは、自分にできる、性に合っている分野のみ比較的取り組む、という傾向があったなぁと感じてますし、今もそうだと思っています。それはそれで生き方なんだと思いますが、その点でもまだまだ「逃げ」の姿勢があるなぁと感じます。大学院を修士で卒業しようと思ったのも研究の成果が芳しくなくあきらめのようなものがあったと思いますし、かといって就職活動も思うようにいかず研究職を半ばあきらめ、望んだことではありますが今では企画部門や管理部門の仕事に従事するようになっています。

なので、基礎的なものもおろそかにして応用ばかりに走ってしまい、振り返ってみると何もない、みたいな虚無感、というものを感じることも少なからずあります。ですので最近は人事・労務・経理・法務などなど初歩的ではありますが基盤を固めることを目標にしております。


そんな私と比較してみると、それぞれのフィールドで超一流の成果を出してこられた窪田さんなんてスーパーマンですが、これからの社会人生において一つでも二つでも妥協をしない生き方、というものをしていければなぁ、と感じる次第です。

まずはベトナムで世界一の製薬工場の立ち上げ、運用をしたいですね!

2013年6月8日土曜日

経理、会社やめるってよ。

ハイ、出落ちです。

5月はいろいろとゴタゴタしてしまい、あっという間に1か月過ぎてしまいました。ただいまハノイのラウンジなのですが、暇すぎるのでひさびさのアップです。

ベトナムでは離職が日常茶飯事ということは聞いていましたが、弊社でも創業1年目にして早々の離職者が出てまいりました。本当の理由はわかりませんが、説明上は家庭の事情、ということです。ベトナムで家庭の事情や健康上の問題などでやめる場合、ほとんどのケースは転職してほかの企業にいることが多いようです。他社に行く場合でも、正直に言ってもらう方がこちらも助かるのですがね。

 ということで、1名しかいない経理課員にやめられてしまうのでは弊社の経理体制がガタガタになっていしますので、対応策として早々に1名採用しました。ただ、アドミ部分に関しては辞職というのはポジティブに感じるところもあります。

そもそも、ベトナムの就職・転職事情については前々から知っていたことですし、私自身もスタッフがずーーーっと勤めてくれると思っているわけではありません。勤めてくれる方がベストではありますが、そうなってくるとどうしても人に仕事がつくようになる可能性があります。

通常は、部署に対して業務を課すべきであり、そうしようとすると、業務分掌で業務内容を規定し、SOPなどで業務手順を規定するのが最善と考えます。私としては離職率が高いことを踏まえ、初期の段階からSOPを自分の管轄内については作成させていましたが、どうも担当個人しかわからないSOPのように見えてしかたありませんでした。ですので、この機会に新しいスタッフが内容を理解し、より一般的なSOPへと昇華させて、内容を修正してくれることを期待しています。そこがいい点です。


まま、新興国での仕事、というものは日本では考えもしない、しょうもないことに時間を取られたりするのですが、もうすぐマネージャ職1周年となりますので、もうすこしマシな仕事ができるようにしたいですね。

あと数か月すると本格稼働が控えています。管理部長として、会社インフラの構築に尽力したいと思います。