2013年12月11日水曜日

評価の相対vs絶対。

年度末ということもあり、人事考課について考えることが多いのですが、評価と実力には3年のギャップがあるものだ、という話を聞き、「なるほどなー」と思う反面、日本的だなぁ、とも少し感じ。
ベトナムでは3年後のキャリアと給与より、今のキャリアと給与が大事ですもの、ふむ。

さて、日本で仕事をしているときを思い出すと、我ながら尖がっていたなぁ、と思うことがあり、自分の受ける評価について考えることもあったのですが、ベトナムに来て自分で会社立ち上げをやって、そんなときに他の企業の方々にお目にかかりますと、「自分、まだまだだな」と思い知らさせることがかなーりあります。なーんだ、自分、全然ダメだな、と。適切に、そして謙虚にいかないとダメですね、人は。

さてさて、組織内での人事考課を考えると、その軸はあくまで「相対的」であるべき、という考えを頂きました。学校での成績を付ける際、「5」は何人などなどあるわけで、評価における相対性というものは当たり前なのですが、これまで評価をした経験のない私は、なんとなく絶対性を求めていたような気がします。

学校、企業、など、単一の組織の中での相対評価、というものはもちろん大切だと思うのですが、大学で研究室に入った場合など、研究室内での評価というものには、論文のIFや引用数などの絶対性を考える必要があります。

企業においても業績というものは絶対的な数字としてあらわされる訳ですが、それを参考に、定性的な内容も加味した上で、相対評価というものがなされていると思います。経営陣は、他社がどうであったって株主からは絶対的な評価を求められる訳ですから、絶対評価というものは法人の長が受けるものかと思います。「不景気だから業績が悪いです」、「え、だから何?」という話ですね。

私自身、これからは評価を受けもするし、評価を実施もするし、その中で考えることが増えそうだとは思いますが、常に妥当性を持って判断をしていければ、判断されれば、と思います。そして出来るだけ妥当な判断の出来る組織を作っていかないといけないですね。

2013年12月1日日曜日

日本人の顔。

海外で生活をしてると、「まず韓国人か?」という質問を受け、「違う」、というと、「中国人か」と聞かれるので、「日本人だ」と言うこと多々。

日本にいるときは周りがほとんど日本人なのであまり気にしないけれども、周りが外国人だらけになると、自分のアイデンティティについて考えてしまいますね。そもそも日本人の顔ってなんでしょう?

確かに人種としては大陸から日本にたどり着いているのでしょうから、そういう質問は間違いではないのでしょうが、どうも外国では日本人のプレゼンスが低いような気がします。そもそも実際に彼らが目にする日本人は数量的に中国韓国よりも少ないだけ、ということなのかもしれません(追記:日本人は中国人に間違えられても怒らないけれど中国人は日本人に間違えられると怒るので、消去法的に聞くのでしょうか)

私が韓国人、中国人と日本人が違うなぁと推測するのは主に、髪型や服装、メガネでしょうか。顔の骨格も違うような気がしますね。うちのスタッフ曰くは、ベトナム人かそうでないかを見分けるのは、「目」だと言います。彼らにはベトナム人の目という感覚があるんだそう。美しい発言と思います。これまで人の採用をするのに少なくとも200人は見てきましたが、ベトナム人の目というのは正直よくわかりません。

ただ、ベトナム人の一般的な顔、というのはおぼろげながらもわかってきたので、日本に帰った時などは、ん?と思うこともちょいちょいありますかね。

2013年10月15日火曜日

Same same but different!!

これ、何でしょうね。ベトナムでは日本で聞かない英語をたまに聞きます。んで、その代表格がこれ「Same Same」。英語が話せないベトナム人でもこの言葉は喋るので、きっと「同じ」という意味なんだろうを独り合点していましたが、どうやら違うらしい。

「Same」=「同じ」
「Same Same」=「似ている」

というのが私の理解する意味です。というか、英語を喋れるベトナム人に説明してもらいました。日本だってサラリーマン、ホームラン、などなど和製英語がありますから仕方がないでしょう。

それはさておき、ベトナム人の英語は非常に聞き取りにくい。というのもベトナム語は基本的に一つの言葉に一つのアクセントなので、英語を喋る際は非常に短縮される。

「Speed」=「スピッ」

あと、発音の仕方が国民的に変。

「Colleague」=「カレッジ」
「Trade」=「チェード」

Tradeに関しては、ベトナム語は「TR」を「CH」で発音するので仕方がない部分はあるかと思います。あとフランスの名残か「R」を「Z」と発音したり、初心者には意味不明です。ベトナム大手の医薬品会社に「Traphaco」という会社があるのですが、「トラファコ」と読みたいのを我慢して「チャファコ」と読むんですね。

ベトナム語の勉強もよいですが、ベッティングリッシュも正直必要です。

2013年9月24日火曜日

首相の目の前で。

気づけば前回のアップから40日、時の経つのは早いものです。さて、一週間前の話ですが、VSIP Quang Ngaiという工業団地の起工式に参加しました。VSIPというのは、Vietnam Singapore Industrial Parkという工業団地の略称で、ホーチミンに2カ所、ハノイ近郊に1カ所、ハイフォンに1カ所、と全国チェーンの成功した工業団地です。

名前の通り、ベトナムとシンガポールを挙げての工業団地であり、ベトナム側は大手ディベロッパーのベカメックス、シンガポール側はテマセク傘下のセムコープが出資してます(三菱商事も参画)。1996年から始まったプロジェクトで成功が続き第5サイトまで継続中。

さて、余剰資金の少ないベトナムでは、狭い割に南北に長いため全国を網羅するインフラを整えることが出来ません。日本は鉄道会社が路線網を引いたおかげで強靭なインフラとして今も残っておりますが、インフラがあった場合、次に鉄道会社がしたことはデパート、街の形成。インフラを構築して人が集まることが出来て初めて商業が生まれる。

翻ってベトナムにおいてはインフラがない(だからバイクに乗る)。どうやって人を集めるか、ということで工業団地を作るんですね。まず仕事を作って、そ
してその周りに街を作る。そういうスキームでやる場合は工業団地もあくまで周りに形成される住環境を汚さないクリーンである必要があります。というのがVSIPの特徴。だから医薬品製造などは推奨されます^^

今回のQuang Ngaiの話に戻しますが、これはダナンから南に120km下った都市で、まだまだ農業、漁業中心の場所です。最低賃金もレベル3で、月額最低給与が80USD程度と安価。セムコープは火力発電所も建設している最中なので、ここらのインフラを一手に請け負って街自体を形成するつもりなのでしょう。水を作る事業、も今回の目玉慈善事業としてやるみたいだし。

「家まるごとパナソニック」もすごいとは思うけど、「都市まるごとシンガポール」というのは規模が違う。それをやりきるディベロッパーのノウハウ(気力?)はすごい。事業、というよりは投資、という方に近いのかも知れませんけど、内に向けないだけに外に行っている。

今年は日越友好40周年記念、といろいろとめでたく盛り上げてはいるけれど、40年前の1973年はベトナム戦争終結(パリ協定)の年。日本だけでなく十数カ国との国交を樹立しています。もちのろんで今回のシンガポール首相のスピーチでもそういう旨のことが言われるわけ。

昨年の祝辞、今年の祝辞、来年の祝辞でも言われて、その間にまたほかの記念の年を持ってくるってことでしょうな。来月、いよいよ本格的に忙しくなりそうです。いかに乗り切るか、笑って、というか微笑んで進めていきたいと思います、そう、内心怒っていたとしてもね。

2013年8月9日金曜日

ねじをまく。

相変わらず組織運営に四苦八苦しております。

ちょうど今日見た記事ですが、ソフトバンクアカデミアでの孫さんの話。「将棋の王将は360度動ける。資格がないというのは王に重要な要素。技術も会計も資金繰りも英語も、なんでもできなければならない。

本当ーーーにそう思います。実感として。
日本から、ベトナム人スタッフから、会社を回しているとあらゆる角度からいろんなものが飛んできます。ベトナム○○局なんてところからも通達が来たりなんたらかんやら。基本的には即断即決を心がけておりますが、中にはダメージを食らうものもあるわけです。

ただ、個人的には王には死角がない代わりに歩みも遅い、と思うんですよね。だったら、何かに秀でた飛車や角になって、そのあとに敵陣に入り込んで竜王になったりする方がスピーディーで好きです。社長(王)になって責任もってやりたいことやる、って面白そうって思ってたけれども、それなりにやりたいことが出来たら社長よりも飛車角の方が面白いんじゃないかって思ったりもする。

ま。管理部責任者である以上、組織づくりはしっかりやろうと思っているので、これからは日本人、ベトナム人に対する要求レベルを上げていって、金銀桂香飛角などなどベトナム法人から輩出された人材を社内ブランド化できるように取り組みます。そのためにはまずは自分がやらないとね。

2012年の8月8日は地鎮祭。1年経って、さあどうだ。これからが本番だ。ねじ、まいていこ。

2013年7月27日土曜日

組織を作る。

いよいよと工場完成も間近となり、組織を作る段階になって参りました。8月1日で赴任してから丸1年となりますし、8月に雇用した2名の従業員もずっと僕についてきてくれたことになります。はじめは1人から始まったオフィスも活気があふれておき感慨深いものがあります。

さて、現在は僕の下に4人、その他7名のベトナム人を採用しており、今後の本格稼働を見据えてどんどん採用していく必要があります。ただ、会社を作って仕事をまわしていこうと思うと、「やる気があります」、ではなくて、「これが出来ます」、とかそういうメンツが必要です。ビギナーをゆっくりと育てていくヒマないし、当面はある程度のプロフェッショナルを採用することが前提となります。しかしながらベトナムでの医薬品製造規範は依然としてWHO-GMPであり、こと医薬品製造に関する人材に関しては、「ベトナムではプロ」、という人材でも物足りない部分があり、PIC/SやcGMPに対応しようとするとなかなか難しい。なので、「これが出来ます」+「医薬品がやりたいです」という要素の強い人を選別して組織に入れ、その人たちが最大限働きやすい職場を提供することを念頭に考えています。

これからどんどん従業員を増やしていく場合には、それぞれの役割に見合った人を採用したい、し、採用される方もそのように願う、と思う。最低限の生活もままならない場合はなんとかして高い給与が欲しい、と思うだろうけれどもある程度までの給料ならば、環境のいい会社で働きたい、自分のやりたいことをしたい、という人が増えてくる。そういうときに、ベトナムにおける医薬品製造、というのは社会貢献度が非常に高く、医療が不十分なベトナムにおいて、医療関係の仕事がしたい、というモチベーションに十分なるのではと思っています。

しかし最近「自分が本当にやりたいことは何ですか?」というのは究極の疑問だとつくづく思っています。月に一度の従業員面談では、自分の会社の中にある仕事の範囲の中で、やりたい仕事を吸い上げ、不満を吸い上げ、社内を調整してできるだけ改善するようにしています。ベトナム人はキャリア志向が強いので、自分の仕事はこれ、というのをあらかじめ決めたりする傾向があり、管理する側としてはそんなこと言わずにいろいろやってよ、とお願いしてますがそれをお願いするのは手間でもあります。そういう点では日本人はいかに仕事を受け身でやっていることが多いか、と感じます。その結果の多能工、なのでしょうか。

翻って今、僕自身がやっている仕事は本当に自分がやりたい仕事なのか?と言われたら、「んー、どうでしょう」と答えます(笑)。しかし僕の軸として興味があること、というのは、「ヘルスケア(出来れば薬)」と「アパレル」。
気づいてみると、「イリョウ(医療⇄衣料)」ということに集約されるのかも知れません。経験も構想も人徳も全然足りないので独り立ちなんかは出来ませんが、まずはやりたいことをやるベトナム人を眺めながら今の環境を十分に楽しんで、
一つのことを成功させてみたいと思います。


2013年7月6日土曜日

事業環境と共通項について考える。

窪田さんを中心にした勉強会に参加してきました。本来帰国予定はなかったのですが、無理やり予定を詰め込んで帰ってきました、東京。ですが、どんなことをしてでも帰ってきた方がいいと感じましたね。前回、「極めるひとほぼどあきっぽい」について書かせてもらいましたが要はその著者の方との勉強会・2次会です。(その他ウレシイことも2点ほど)。

感じたことは多々ありますが、米国の事業環境ってすごそうだな、そこで仕事をしてみたいな、というのを率直に感じました。 ベトナムで会社を動かしていると、法律や各種規制を熟知した専門家、ってそんなに多くなく、それよりも誰々をよく知っている、とか、そんな話をよく聞きます。もちろん各種法律を知っていて、という素晴らしい人もいることにはいるのですが、少数でしょう。 (主観的意見です)。それよりも規制と袖の下は表裏一体ですから、そのことによる恩恵を受けることに執着している人も多いでしょう。

アメリカの場合だと、 それぞれのProfessionalがいて、各Job discriptionに従って採用すれば、本当に優秀な人を集めることが出来そうです。法令など各種事業環境も整っていて実力勝負、速さ勝負、みたいな、本当にサバイバルな環境にあるんだと感じました。だからこそリーダーとしてそれらの人を束ねる場合は、少なくともメンバーが言うことを理解する素養、分からないことは教えてもらう謙虚さ、それらを統合する頭の回転の速さ、必要な能力が山ほどあるんだろうと感じます。

だけれども、自分がリーダーとして引っ張っていく場合、少なくともメンバーはその背中を見てついてきてくれる訳だし、ベンチャーにせよ、大企業にせよ、その背中が信用できるものでなくなったら、ついてこないこないのが普通かと思います。それは会社の社風も含めて、この人と一緒に仕事がしたい、とかこの会社が好きだ、とか、そういう気持ちを社員に持たせることが必要。そういう点は恐縮ながらも共通意見であり、その方向で進めたいと思います。

事業環境を比べると、それぞれの国の道路事情によく似ているのではないか、と思います。アメリカはだだっ広いハイウェイで、乗るも降りるもフリー。日本は、比較的早く走れるけれどもその流れは細く、その上、山や谷、曲り道(規制?)が多く、思ったほどスピードが出せない。ベトナムはそもそもハイウェイがない上に、 バイクに邪魔されたり、石が落ちていたり、牛が出てきたり、とおそらく先進国では予想外のトラブルや人的災害が起きる。だからスピード感も非常に遅く、実際一つのレターを出して問題解決するのに1か月以上かかることもある。スピードの速いアメリカベンチャーだと1か月というのは致命的なほど長いのではないかと思います。

ただ、先進国のスピード感についていけない人、新興国の未整備さについていけない人、いろんなタイプの人が世の中にはいるとは思うけれども、自分自身はオフロードのようなベトナムだけれども俄然として早く走れるようになりたいと思う。みんなが50km/hで走っていることに慣れたら、200lm/hで走っているアメリカ(例えです) では、もう走れない。僕はまだ早く安定して走れないけれど、今回の勉強会なんかは200km/hで走っている人たちの後部座席に乗せてもらってそのスピード、マインドといったすごさを体験させてもらったから本当にかけがえのない経験でした。


なんだかたとえ話に話がずれてしまいましたが、共通なことは自己実現欲が高い人がいるということ。高い給料に心動かされる人はいるけれども、これまでこんな経験として「うちの会社に入社して、自分の実力を試したい」というマインドを持った人もいる。そういう人に対しては、ベトナムの中では少なくとも優れた職場環境とゴールを提供して、一緒に走っていきたいと思うし、それで会社と国が発展すれば、もう何も言うことはないし、そこでする自分の仕事ももう終わりになる。そのときを楽しみにあと4年間はここで頑張ろうと思う。

余談だけれども今回ウレシイ2つのことは、
①このブログ(knoblog)を楽しみに読んでます、という人に出会えたこと。
②将来、ウチに来る気はないか、とお誘いを受けたこと(半分冗談かもしれないけれど)。
僕は窪田さんと違ってあまり物事を極めずに生きてきた30年間だけれども、これからはそのマインドセットも変換し、まずは現在の仕事内容には出来るだけ極めようと努力はしてるし、HHのお誘いがあればその時、そのリクエストに応じれるだけの実力を備えたいとも思う。

上には上がたくさんいる、下には下もたくさんいる。自分の視野をどう向けるかで人は変わると思う。またまた余談ですが昨日は2時間しか寝てなかったけど夜の部は19時から25時まで全く眠くなかった、やっぱりやりたいことをやるのがいいんでしょうね、きっと。

2013年6月30日日曜日

上海、中国。

行ってきました、中国上海。初めての中国でしたが、タクシーにぼられた以外はまぁまぁといったところでしょうか。

まず驚いたのが空気の汚さ。さんざんニュースではやっていますが、ベトナムなどとは比べ物にならないほど汚い、というか遠くが見えない。笑い話ですが、窓の外を少し見てて、Landingのアナウンスが出てもずっと雲の中だなぁと思ったら突然の着陸!霞すぎて陸が見えていませんでした。加えて、かくしゃみがでる、目がかすむ、目やにがでkる、などの身体的異変も感じながら生活しました。

上海は高層ビルも多く、リニアモーターカー(Maglev trainと言うそうです。中国語では磁浮)近代国家であることは感じるのですが、近代的な空港なのに雨漏りしていたり、立派なホテルの部屋で雨漏り(水漏れ?)していたり、日本人が完璧を求め過ぎなのか、どうも少し物足りない、儚いように感じました。ただ地下鉄の発展、車社会、というところはさすが上海、とうならざるを得ない点でしたが、黄浦のネオンなどなどはミッションインポッシブルⅣで見た程の迫力はなく、想像よりはおとなしめでした。それでも十分にギラギラはしていますがね。

意外だったのがお店が少ないこと。デパートなどは多少ありますが、景観上禁止されているのか路面店が非常に少ないと感じました。普段ベトナムで見慣れているケータイショップなどひとかけらも見ることはありませんでした。

さてさて、都市の違い、人柄の違いなど様々な点がありますが、中国に住むのであればベトナムに住みたい(もちろんテンポラルですが)と改めて感じました。いい国です、ベトナム。だてに洋さんも縦断しないですよね。

2013年6月19日水曜日

水曜どうでしょう。

ようやく見終わりました。
Last Run 1800km ハノイ〜ホーチミンの旅。

よくよく見れば2002年7月の旅でしたのでかれこれ11年前の映像。ただ現地に1年住んでみた感想としては11年経過してもほとんど変わっていません、ベトナム。

ホテルニッコーハノイ前からスタートする訳ですが、その映像もほぼいまと同じ。信号が出来たり、建物が新しくなったり、車やタクシーが増えたことを除けば交通マナーも含めて全く変わっていません。このDVDを見れば、今のベトナムもほとんど理解できます。

大泉洋さん、このときアラサーなんですね。そう思うと感服してしまいます。それくらい面白い。

このDVDを見て印象に残った場面は「水曜どうでしょう、が各地の民放で再放送され指示されているのは、我々が新しいことをやってないからだ」というですが、新しいことや変わり続けることが求められる中で、新しいことをせず、未来を予見するでもなく、ただただ面白いことが出来るのは本当にすごいと思います。

さて、これを見てベトナムに行きたいと思った方は早めに来てください。最近はベトナムもかわりつつありますので。

2013年6月15日土曜日

極めるひとほどあきっぽい。

日本に一時帰国しまして、ようやく手に入れました。バイクラの中では有名かと思いますが、ひさびさに本のご紹介。

帯の通り、学者・医者・ベンチャー社長・その次は??という窪田さんの自叙伝です。現在、窪田さんは経口AMD治療薬の開発をされている会社の社長さんです。

人の批評をしてもしょうがないですし、本の内容をこと細やかに書いても今後読まれる方に悪いので、興味はないかもしれませんが、この本を読んで感じた自分のこれまで、なんかを考えてみました。まぁ自分なんぞは自叙伝を書くこともないでしょうし、これを機に振り返ってみるのもよろしいかと。

自分の特徴、というのは、いつでも本気になることなく、どこかしらに逃げ場を作ってこれまで生きてきたような気がします。 というのも、「自分はまだできる」という可能性を残して本気で取り組まず、言い訳を探してこれまでの30年間をそのように過ごしてきました。マラソンでもぶっ倒れるまでスタミナを使い切るのではなく、1番でなくてもゴールした時に余裕を残すような、そんな感じです。

これまでピアノ、フルート、サッカー、バレーボール、バスケットボール、テニス、洋裁、英語などなど、好きだと感じたことはたくさんやらせてもらってその環境には非常に感謝しています。

しかし、趣味やスポーツを例にとった場合でも、やりたい、本気で何とかしたい、と思って取り組む、というよりは、自分にできる、性に合っている分野のみ比較的取り組む、という傾向があったなぁと感じてますし、今もそうだと思っています。それはそれで生き方なんだと思いますが、その点でもまだまだ「逃げ」の姿勢があるなぁと感じます。大学院を修士で卒業しようと思ったのも研究の成果が芳しくなくあきらめのようなものがあったと思いますし、かといって就職活動も思うようにいかず研究職を半ばあきらめ、望んだことではありますが今では企画部門や管理部門の仕事に従事するようになっています。

なので、基礎的なものもおろそかにして応用ばかりに走ってしまい、振り返ってみると何もない、みたいな虚無感、というものを感じることも少なからずあります。ですので最近は人事・労務・経理・法務などなど初歩的ではありますが基盤を固めることを目標にしております。


そんな私と比較してみると、それぞれのフィールドで超一流の成果を出してこられた窪田さんなんてスーパーマンですが、これからの社会人生において一つでも二つでも妥協をしない生き方、というものをしていければなぁ、と感じる次第です。

まずはベトナムで世界一の製薬工場の立ち上げ、運用をしたいですね!

2013年6月8日土曜日

経理、会社やめるってよ。

ハイ、出落ちです。

5月はいろいろとゴタゴタしてしまい、あっという間に1か月過ぎてしまいました。ただいまハノイのラウンジなのですが、暇すぎるのでひさびさのアップです。

ベトナムでは離職が日常茶飯事ということは聞いていましたが、弊社でも創業1年目にして早々の離職者が出てまいりました。本当の理由はわかりませんが、説明上は家庭の事情、ということです。ベトナムで家庭の事情や健康上の問題などでやめる場合、ほとんどのケースは転職してほかの企業にいることが多いようです。他社に行く場合でも、正直に言ってもらう方がこちらも助かるのですがね。

 ということで、1名しかいない経理課員にやめられてしまうのでは弊社の経理体制がガタガタになっていしますので、対応策として早々に1名採用しました。ただ、アドミ部分に関しては辞職というのはポジティブに感じるところもあります。

そもそも、ベトナムの就職・転職事情については前々から知っていたことですし、私自身もスタッフがずーーーっと勤めてくれると思っているわけではありません。勤めてくれる方がベストではありますが、そうなってくるとどうしても人に仕事がつくようになる可能性があります。

通常は、部署に対して業務を課すべきであり、そうしようとすると、業務分掌で業務内容を規定し、SOPなどで業務手順を規定するのが最善と考えます。私としては離職率が高いことを踏まえ、初期の段階からSOPを自分の管轄内については作成させていましたが、どうも担当個人しかわからないSOPのように見えてしかたありませんでした。ですので、この機会に新しいスタッフが内容を理解し、より一般的なSOPへと昇華させて、内容を修正してくれることを期待しています。そこがいい点です。


まま、新興国での仕事、というものは日本では考えもしない、しょうもないことに時間を取られたりするのですが、もうすぐマネージャ職1周年となりますので、もうすこしマシな仕事ができるようにしたいですね。

あと数か月すると本格稼働が控えています。管理部長として、会社インフラの構築に尽力したいと思います。

2013年4月29日月曜日

Pfizer Incのケーススタディ

かつて通っていた民間ビジネススクールの方々とファイザーインクに関するケーススタディをすることになり、目下締切を目指してコンサル業的なレポートを作成しております(こんなことを書く暇があったらレポートしなきゃならないんですが。)

私自身、昨年ベトナムで法人設立してからはや1年が経過しており、会社も比較的安定的に操業しているのではないかと感じています。第1ステップの自分の立場としては及第点なのではないかと自己評価しております(余地はまだありますが)。

そこで今回改めてファイザーのケーススタディ(IVEY製)に臨んでみると、自分の仕事の枠の小ささを改めて感じるとともに、このような視座の異なる議論もしなきゃならないなぁと感じたわけです。

そもそもファイザーなんて世界一の企業であり、そのCEOであるJeff Kindlerの打ったアクションについての評価と彼へのコンサルティング、というのはばかげた話です。弁護士であり、長年経営の経験を積んだ人に新米コンサルタントがかなうはずもありません。しかし、彼がどうしてそのように「判断・決断」したのかを探り、今後はどうするべきか、を提案する、というのは非常に面白く久々にわくわくしました。またファイザーはアメリカ企業なので、その課税体系やうちのようなGE企業ではあまり耳慣れない無形固定資産(特許権など)の償却なども考える必要がありそれも新鮮。

スクールに通っていた時(研究所時代)と違い、今ではある程度は自分の会社について多少の判断もできる立場になり、そのためにはどのようなファクトが必要でどのようなロジックが必要か、ということを考えてはいるものの、目の前のスピードに対応するために手抜きになってたかな、と内省もしております。

こういうケーススタディをすると、それぞれ学ぶべきトピックがこそっと設けられてるんだと思いますが、素材にB/Sがないのかよ、とかC/Fもつけといてよ、とか余計な文句も出てくるようになりましたが、いろんな経験をして少しでも前進できればなぁ、と感じております。

さて、今回の私の施策とKindlerのアクションがどれだけ共通点があるか、そして今の株価、調子はどうか、私がうまいことロジックに基づいて判断できるのか、楽しみ楽しみ。

2013年3月29日金曜日

ベトナムの病院。

今週、食あたりか何なのか分かりませんが、吐き気(嘔吐)、低血圧、手足のしびれ、少々の吐血などにて非常にしんどい状態で、ベトナムの病院を受診しました。ま、ベトナム法人の総務担当者としては、後進のためにも一度は受診しといた方がいいですものね、と前向きに。

おそらく、卵、豚肉、あるいはなすびの漬け物あたりが原因と考えられますが、久しぶりにこんなに吐きましたね(酒飲み過ぎの嘔吐は除きますが)。

というわけで、地元ハイフォン市の国際病院を訪れる訳ですが、もちろん先生方はベトナム語しか喋れませんので、医療通訳、というサービスを使うことになります。うちの会社は、ウェルビーというサービス会社と契約していて、24時間の相談が可能です。ウェルビー勤務のベトナム人の方は、もともと日本で看護師をやっておられた方ばかりを採用しているので、単純な通訳ではなく医療に特化した翻訳が可能となりますのでかなり安心。

検査内容は、血液検査、胸部X線、腹部X線、超音波でした。

超音波なんてものは人生初めての経験で、ぬるぬるしながらすこしどきどきしましたが、今回の診断結果は、胃炎、ということで今となってはすっかりと体調も回復しました。

処方内容は、オメプラゾール、クラリスマイシン、アモキシシリン、をいただきましたが、日本人の適正用量からすると、わりと多い量が処方されます。当日は吐き気が非常にあったらので昼からほとんど食事をとっておらず、医師から点滴をしましょう、と言われたときに、よっしゃ、と思ったのもつかの間、生理食塩水、でした。。。せめて5%グルコースかアミノ酸輸液にしてよね〜、と思いましたが、ま、よしとしましょう。

にしても、自分の会社が医療に関係していると、今回受けた治療に関しても、輸液、カテーテル、針、薬、と自社で作ってたりして、なんだか感慨深い思いに至りました。もちろん営利企業ではありますが、こうして医療に貢献する、ということは自分の仕事としても誇りに思います。病気にならないのが一番ではありますが。

2013年3月22日金曜日

シルクの村。

先日ハノイに行ったときに、シルクの村Van Phucに行ってきました。ハノイで有名なシルク街はホアンキエム湖近くのハンガイ通りなのですが、お店の値段がまぁまぁ高かったので知り合いのおすすめということで訪れてみました。

村、といってもハノイから南の方向に10km程度しか離れておらず、車で30分とアクセスもなかなか。確かにネクタイ1本5ドル、と優れたプライシングをしておられました。今回はネクタイ2本、シルクのパジャマを調達。

ここはシルクを売っているだけではなく、カイコの栽培、絹の採取、そして織物、をやってました。カイコはタンパク源ということもあり、ベトナム人は揚げて昼ご飯に食べたりします。私も以前食べましたが、外はかりかり中はふわふわ、という食感でした。ちょっと揚げが足りないと生臭さが残りますね。通常食用、として出てくるカイコは今回見たような程長い形をしておらず、ダンゴムシみたいなずんぐりむっくりな形をしています。




織り機の方は、休むことなくカタコトと動いていましたが、ほぼ自動化しているのか人の姿は見当たりませんでした。とはいっても木製で昔の日本のような趣があり、同行したおじいさんは懐かしまれておりました。特に織り機の型である、木製のオルゴールの要なもの(写真右上)はそれだけでも美しく、ほほぅ、と感じ入るものでした。

観光地からはほど遠いため、観光客もほとんどいませんでしたが、ハノイに飽き飽きされた方などは足をのばしてみるといいかもしれませんね。

2013年3月15日金曜日

命とともに走る。

こんばんわ、先週は内部監査のためお休み致しました(爆)で、その時に撮影した写真をトップに持ってきてご紹介。ベトナムではバイクでモノを運ぶことが多く、ビールや壺、家畜など、バイクの後ろに乗せて走ることが多いです。

昔の日本ではよくある光景だった、(と聞いたことがあるだけですが)鶏の頭を跳ねて、首から下だけが走り回る、とか食と生が今よりもずっと身近だったように感じます。今では、肉、といえば、スーパーの精肉コーナーで綺麗に切り身になっていたり、魚といってもきれいに裁かれたりしています。それはもちろん便利になった証拠、ではあるのですが、生命のありがたみもなくなっているように感じます。むしろ、そういう生々しい部分は極力表に出さないようにしているような気がしてなりません。

ベトナムでは写真の通り、これから食材になるであろうさまざまな動物を目の前にします。調理された場合でも、鳥皮に毛が残っていたり、鳥が丸ごと揚げられた形で出てくる、など食から生命を感じることが多いです。どこかのお子さんが、こちらに住み始めたときに鳥の丸揚げを見て、鳥が食べられなくなったそうですが、日本というのはどうも臭いものにふたをする感覚でキレイにしすぎ、見せなさすぎのような気がしますね。それが先進国の証、でもあるのでしょうが、こちらに住むと、そういう光景を目の当たりにすることからサバイバル・ハングリーというような感覚が生まれるような気もします。そしれ私たちは彼らと戦わなくてはなりません。キレイな世界に住むこともいいけれど、そういう世界も受け入れられる度量を持ちたいと感じますね。

自分よりおむしろ、自分の子供たちの世代には、なおさらそうであってほしいと願います。

2013年3月1日金曜日

会計よもやま話。

つい最近、会計監査が終了致しました。日本では経理業務はもとよりカネ関連の業務はやったことがないので、日本の常識も分からずやってみましたが、なんとか終了することが出来ました。

ベトナムは他の外国と同じように、1月〜12月を決算期間とすることが多いです。なので私も日本とは変えて1月〜12月でしてみました。会社が設立したのが4月ですから、実質8ヶ月間の会計監査です。

経理担当者を11月に雇ったということもあり、なかなか自分で経理作業をチェックしていなかったからか、ソフトウェアの不備も含めてまーいろいろ問題がありましたね。今回の監査法人はいわゆるビッグ4という監査法人の一角をなすところですが、日本の感覚からすると杜撰、な会計監査ということです。

何が起こったか、というと、減価償却費の計上漏れがありました。。。普通は固定資産登録時からソフトウェアが自動計算してくれるもの、と思っていましたが、話を聞いてみると、毎月自分で減価償却をすべき資産をクリックする!?、ということです。もちろんそれは内部統制のIT統制に関連するのでやめたいんですが、スタッフにどうしてそういう仕様になっているんだ、と聞くと、減価償却したくない月があるからだ??、という何とも恣意的なことが出来るような設計になっているようです。前にも書きましたが、減価償却も耐用年数をある範囲の中から自分で選ぶことが出来ますので、これも恣意的ですよねぇ。

ちなみにその減価償却の計上漏れは、監査法人は気づきませんでした。おいおい大丈夫かよ。

いろいろと紹介したい事例はあるのですが、それはまた後日ということで。

2013年2月22日金曜日

旧正月にすること。

旧正月からすこし時間がたち、徐々に正月ボケがなくなってきたベトナムです。
旧正月に縁起がいいこと、というのがいくつかあります。

「赤」色はベトナムの国旗の色でもありますが、旧正月に着たり、食べたりすると縁起がいいものとして知られています。うちのスタッフも赤色のジャケットなどを召したりしています。

他には、植樹。
正月明けに地元区役所から呼び出しを受け、工業団地の植樹イベントへ参加してきました。
テナントだから、呼ばれたものの、出てみると地元共産党の書記長が来たもんだから、テナントそっちのけ。何とか植樹イベントに参加したものの、自分からいかないと何もできない状況でした。

工業団地は全1600Ha(東京ドーム400個分)という壮大な広さ。
今回は地元高校生もイベントに参加して(させられ)、残りの1000本の植樹に参加するそうです。

にしても、9時からのイベントだから高校生は8時半から待っているのに、9時半頃にだらだら偉い大人が来るもんだから、よくならないんですよね、国が。ほんと反面教師、困ったものです。
 

2013年2月8日金曜日

春節到来。


前回は忘年会のことを書きましたが、いよいよ旧暦の大晦日到来です。昨年は出張ベースで来ていたため、本格的にベトナムの春節を迎えるのは初めてです。ハイフォンという港町ですが、この1週間は普段とは違う熱気、というか人ごみがすごいです。

梅や金柑の木を歩道に並べて売るもんだから、歩くときはもう大変、奥田民生ばりの大迷惑です。しかも展示しているものをバイクに乗りながら見比べる人が多々いてホント、カオスです。出歩く人が増え、鉢植えを持ってバイクに乗る人も増え、交通量が増えるからか事故を目にすることもかなりあり、にぎわいを肌で感じます。

写真は金柑の木ですが、170センチくらいの大きいものですと、だいたい3万円くらいします。使い方は日本の門松のように玄関に飾るそうです。この金柑の木は、正月前に畑から鉢に移され、お客さんに売られる訳ですが、正月がすぎると、またこれをもとの畑に戻すんだそうです。正月にあわせて実を付けさせ、正月が過ぎると元に戻す。なんという手数料商売でしょう。1年間、木の状態を保つ、というのはなかなか難しそうですが、やりきるんでしょうね。

金柑の実が、接着剤で止められていないことを切に願いますwwwま、どこぞの国だとありそうですが。。。

2013年2月2日土曜日

育児と部下。

単身赴任でベトナムに来ていますが、日本で帰った際には子供と一緒に時間を過ごします。子供はその家族と一緒に過ごすので、家族の常識・習慣が子供の常識・習慣となる訳です。

私も日本に帰れば親になるので、子供に対して何がよくて何がよくないのかを教える必要があります。でもまだ言葉を喋れませんしいくら言葉で説明してももちろん理解できません。しかし子供は親の言動をよーーく見ています。私が頭ではダメと分かっていることもついつい行動に出てしまった場合、子供に真似されてしまいます。子供がそうするものだと思ってしまうと、そうするのが当たり前、と子供は体感するので非常によくない。

一度そうなってしまうと、もっと大きくなってから説明しても(オヤジがやってるじゃんとか思われると)、余計に手間がかかってしまいます。

「最初に手を抜くと、あとでずっと手がかかる」でも「最初にしっかり教えると、後で手がかからなくなる」。それはそうだと思うのですが、なかなか出来ないんですよね。子供のためを思って、自分に厳しく、しっかりしないとと感じました。

ということが、丸々(ベトナム人)部下にも当てはまるなぁと、戻って感じた訳です。もちろん彼らは英語が分かり、しっかりとした大人ではありますが、日本企業の文化というところでは初めての体験だったりします。部下は日本人の一挙手一投足を見ています。そんな部下に対してもしっかりとした態度を取らないとあとあと手がかかる。

あとあと手がかかる場合は、きっと自分の指導不足であり、従業員の模範としてダメなんだと思います。また、いろんな判断を求めてきますので、自分の中でもポリシーというか合理性を持っておかないと動いてくれないのも事実。日本人の言う、雰囲気で決まる、というのは後々手がかかることになりかねないのでおすすめできないでしょう。

1年後、会社がカオスになっていないことを切に願います。終。

2013年1月27日日曜日

ベトナム版忘年会。

日本に帰ってばたばたしてたらはや2週間。更新なしで来てしまいました。日本にいると気づきませんが、日本を除くアジアでは太陽暦の新年にもA Happy New Year!と祝う一方、主として太陰暦のLunar New Yearの方に大々的に祝うことが多いようです。

ということで、通常は忘年会は太陽暦の1月下旬にやるんです。日系企業のベトナム人は、12月末にも飲んで、1月末にも飲むので2度おいしいような気もしますがね。今回は自分のとこの忘年会ではなく、市の投資委員会主催の忘年会に招待されたのでその様子をば。

ハイフォン市に進出している企業に対して招待状が届きまして、それを持っていくと飲み食い放題、という訳です。5時半に来い、という招待状だったので、5時半そこそこにバタバタしていってみるとまだ準備中。始まったのは6時過ぎから、というゆるーい忘年会。前でベトナム人があいさつをするも、英・日・中に翻訳されるもんで時間がかかるかかる。そんでもって全くみんな話を聞かない聞かない。

面白かったのは、自社の課長を採用する際に候補者として来ていたベトナム人が、各社の代表と一緒にこの場に来ていて、ネットワーキングをしていることでした。もちろん私はそのことを口外したりはしませんが、各社さんの中でも実権を握っている人たちなんだろうなぁと。

パーティーが始まってからは、ステージ上でカラオケを歌う人もいるし、出し物としてダンス(写真)、歌手を呼んで歌を歌ってくれたりしますが、なんせベトナム語なのでわかりません。

私は出張者が来ていたのでそそくさを1時間程度で帰りましたが、何時まで続いたんでしょうね、あれ。そんなに楽しいものでもないような気がしましたが。

2013年1月11日金曜日

共通言語について考える。

たまには定期ポストとして金曜日にアップデートします。皆さんご存知のとおり私はベトナムで会社勤めをしている訳ですが、これから日本人も増えてくると大変になるのがどの言語を共通言語として使うか、ということと思います。

私は英語でやる、のが最もいい、と感じてます。
特に最近そういう思いが強く、なぜなら海外でのやり取りはすべて英語だから、です。契約書の内容をいちいち和訳したりするとそれだけで世間のスピード感に取り残されてしまいます。またプレゼンなんかもそうで、ただでさえ時間のないエグゼクティブたちに翻訳を聞いている時間はきっとないでしょう。海外のスタートアップ企業では、毎日判断の連続で、スピーディにやるかを考えると、英語のまま、が望ましいと感じます。ましてグローバルカンパニー、グローバルファクトリーと目指すのに日本語で運用してたら、ですね。

さて、直近の日経新聞では、楽天の「英語化」について記載されていました。特に筋金入りの英語ぎらいだった常務が英語を勉強してTOEIC800まで持っていく話など、率先垂範のいい例であり、私なりの理想像が書いてあるなあと感じました。学歴が高い人でも年をとっている人でもなく、結果を出している人に言われると、効果覿面ですよね。こんなことを思って数日で、今日はソフトバンクがTOEIC900だったら100万円、とあったので、頑張ったら100万円もらえる、ような制度は素晴らしいの一言です。

ただ、足下を見てみると、そんなお金もなく、英語をほとんど使ったことがない日本人の赴任も控えている訳で、それをどうやりくりするか、というのがミッションなわけです。自分の英語もまだまだ改善の余地が残されまくってるのであわせて検討しよう、ということで、知り合いの妹が経営している英語塾を見学に行きました。

そこはもちろんベトナム人対象の英語塾なのですが、通常の生徒は1週間に3日間通うそうです。僕が見学したときに隣に座った男の子はまだ12歳でスクールに通って2ヶ月と言ってましたが、普通に会話を聞き取っているように感じました。日本の塾ってせいぜい週1日ですが、入れられるときに一気にインプットする、というやり方はヤングには向いていると思います。

かくいう私はまだまだセミヤングですが、来週から週1日、フィリピン人の先生にマンツーマンで教えを請おうと考えている次第です、ハイ。これからは、仕事ができるけど英語ができません、は通じない時代でしょうね。英語ができないだけで、まわりのスピードに取り残されるんですもの。

2013年1月6日日曜日

円安と三角合併を考える。

あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。みなさんが幸せに過ごせる1年となるよう心より祈っております。

が、幸せの定義も人それぞれでありますし、今、自分が考える、「幸せ」、となる状況を得るためには、より一層の努力が必要と感じています。「幸せ」は決して空から降ってくるわけではないことを肝に銘じたいと思います。とともに、道端に落ちた「幸せ」も拾えるように寛容でもありたいと感じます。

さて、大発会しかり為替しかりと、政権交代してからというものの景気のいい話が続いております。海外投資を担当している自分だけの立場からすると、円ベースの投資金額の膨張、に対する懸念がありますが、将来的にドルベースでビジネスをやろうとすると、対円の為替はあまり関係なくなくかもしれません。まぁ、この円安トレンドもいつまで続くか、いつ揺り戻しがくるか、しばらく静観しなければならないと感じています。

さて、久しぶりの安倍政権ですが、安倍政権には2つの意味で思い入れがあります。

①山口県が地盤(山口四区)であり、母方は歴代首相の佐藤榮作と岸信介。実際に行ったことはありませんが、佐藤榮作のお墓は私の実家から徒歩圏内にあります。また、安倍さんの弟にあたる岸信夫さんは今回衆議院に鞍替えして山口2区から当選しましたが、その昔、私の祖母が亡くなった時にお葬式に足を運んでもらったなぁ、としみじみ回想に耽ったり。

②入社時(2007年4月)の総理大臣であったことです。当時の政策として、White Collar Exemptionや三角合併解禁という話題が新聞紙面を賑わせているときでした。私は、会社の入社式で新入社員代表としてメッセージを述べる機会をもらったので、これまでの形式だけであった新入社員からのメッセージのひな形を壊して、社会人の働き方の変革、米日の買収活性化、についてなど言いました。今思えば、ホワイトカラーイグゼンプションは跡形もなく消え、三角合併も当初想定された黒船襲来となるほど活発なM&Aは結果的に起きませんでした。

入社から丸5年が終了しようとしているところで再び安倍政権誕生となったわけで、今回の政権もいろいろとやろうとしたけどやっぱり駄目でした、なんてなって欲しくないですね。