2020年5月17日日曜日

世界最高額の医薬品の価格

日本でもとうとう薬価がつきました。世界最高金額の医薬品「ゾルゲンスマ®(Zolgensma)」一般名はオナセムノゲン アベパルボベク(onasemnogene abeparvovec)。
日本でのお値段167,077,222円(約1.67億円)。アメリカでのお値段は約2.3億円()です。この薬が対象としているのは、脊髄性筋萎縮症という難病で、寿命も短くなる致死性の病です。
この金額はどのように算出されているのでしょうか。今回も変わらずICER-reviewの評価をベースに解説します。
現在、脊髄性筋萎縮症の薬剤といして承認されているのは2製品。Biogen社のSpinraza®(nusinersen)とNovartis社のZolgensma®です。この2製品のおおまかな違いとして挙げられるのは、
Spinraza:発症前~発症後の患者が対象。4か月毎に髄腔内に投与
Zolgensma:発症前の患者が主な対象、1度きり、で静脈内に投与
かと思います。
では、細かいデータを各社の臨床試験データから紐解いていきましょう。まずはInfantile-Onset(Type I)のSMAの臨床試験から。Biogenは下記に示すRCT臨床試験を行っており、Type I、Type II/III、の患者さんを対象にしていることが分かります。他方、Novartisは、Type Iの患者さんを対象にしています。Biogen社はプラセボコントロールに対し、Novartis社はオープンラベルシングルアーム。
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最初にSpinrazaとZolgensmaの基本情報の比較です。どちらの臨床試験においても、生まれてから2か月程度で病気が発症し、治療を開始したのは3-5か月後です。
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結果です。本文中からの引用ですが、ENDEARでは、Sham群の患者さんの平均余命が22週間(約半年)であった一方、Spinrazaでは73週間と大幅に延命できています。Zolgensmaにおいては、すべての患者さんで投与から2年間(108週間)以上の生存が確認されています。また、機能面においては、Sham群では頭を動かしたりできる患者さんがゼロなのに対して、SpinrazaやZolgensmaでは座ったり立ったりするほどまで回復する患者さんが認められます。このことからも、これらの医薬品には意味があることが示されます。
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次にLater-Onset(Type II/III)のSMAに対する臨床試験結果です。こちらはZolgensmaのデータはなく、Spinrazaのみです。(試験名:CHERISH)。投与群で3ポイント以上の改善があることから、意義があるという結論となっています。
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表で示されている指標はHFMSEというもので、Spinrazaのウェブサイトでも紹介されています。https://www.spinraza.jp/ja-jp/homepage/resources/HFMSE.html
両治療薬に関する懸念点としては、長期間の投与実績がないので、登記投与の場合の安全性について、Zolgensmaはシングルアーム試験でかつ12例の投与症例数しかなく、ヒストリカルコントロールと比較する場合に効果が強調されることや統計上有効と判断するためのサンプルサイズが小さい、との内容です。歴史的にはSMA患者さんは2歳で死亡するといわれておりますが、最近は人工呼吸器や栄養学的なサポートにより、現時点では2歳時点での死亡率は30%となっています。Zolgensma投与群においては、すべての患者で2歳までは生存が確認され、かつ人工呼吸器を装着していない、ということから有効性が示唆されますが、やはり対照群は必要、という見解です。
下記表において、どの患者さんにどの薬剤が有効か、ということに対して示されています。ZolgensmaはType I SMAのみ有効、SpinrazaはType I、Type II/IIIに有効、という結論です。有効性からもZolgensmaは適応年齢を2歳以下と限定している点がSpinrazaと異なります。
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さて、気になるお値段の計算です。Type I SMAについて、SpinrazaとZolgensmaが比較されています。ICERの評価では、得ることができるQALYはZolgensmaの方が高いことが分かります。生存年もZolgensmaはSpinrazaの倍以上の延命効果があることが示されています。使用した金額はSpinrazaが2.23百万ドル、Zolgensmaが2百万ドル(どちらも約2億円強)
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しかしながら、どちらの治療においてもQALYあたりのコストはICERが許容する15万ドル/QALYを超過した結果となっています。
Type II/IIIについては、Spinrazaのみの評価ですが、延命効果はほとんど期待できず、QALYがかすかに増加する、という結果です。この結果だけみるとBiogenの担当者は到底納得できない結果になるでしょうね。
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QALYあたり15万ドルを超えることになってしまいましたが、どのように落としどころを付けるのでしょうか。結論からいうと、SMAのような超希少疾患については、15万ドル/QALY以上の閾値をもうける、ということです。左に記載のメーカー希望小売価格に対して、15万ドル/QALYで計算すると、それぞれ64,800ドル、899,000ドルとなり、Spinrazaに至っては希望価格の8割引きとコメントされてしまっています(希望価格は38.25万ドル)。
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そこで、ICERとしては、5万ドル~50万ドル/QALYでの分析をそれぞれの医薬品で評価を行い、価格設定を正当化しているようです。
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Biogenの担当役員からは、この解析結果が好ましくなかったようで、恨み節ともとれるパブリックコメントが巻末に記載されています。
驚くべきことに、Novartisは「製品価格、5億円」が適正な価値と述べていましたが、トランプ流の交渉なのか特に2億円という金額に落ち着き特にコメントはしていません。また、臨床試験サイズを小さくすませて承認を取得する、などなど個人的にはNovartis社に学ぶことはたくさんありそうです。
本noteは、https://icer-review.org/material/sma-final-evidence-report/からの引用です。

2020年5月11日月曜日

Cystic Fibrosis(嚢胞性線維症)治療薬のお値段

まずは嚢胞性線維症について。CFTR(cystic fibrosis transmembrane conductance regulator)の遺伝子異常のため、正常な塩化物イオンチャネルを形成するたんぱく質が作られないことにより、全身の粘膜の塩化物イオンの輸送能力が弱いため、生まれて間もない頃から、気管支、消化管、膵管(用語解説参照)などが粘り気の強い分泌液で詰まりやすくなり多様な症状を表す病気です(図)。ほぼ全ての患者さんが。肺炎や気管支炎を繰り返します。(引用:https://www.nanbyou.or.jp/entry/4531)日本を含むアジア人には非常にまれな病気ですが、欧米人の場合は3千人に1人の割合で発症するといわれています。
ですので、嚢胞性線維症は日本ではあまりなじみのない病気ですが、欧米では深刻な疾患です。嚢胞性線維症に限りませんが、人種によって生じる遺伝子疾患は比較的存在しており、日本向け、欧米向けで開発戦略が分かれることもしばしばあります。
さて、嚢胞性線維症(CF)治療薬の話をしますと、今回ICERが評価対象としたのは、Vertex社(ボストンのバイオベンチャー)のトリカフタ(Trikafta)です。この薬剤は、Elexacaftor/ Tezacaftor/ Ivacaftorという3つの化合物の合剤となり、語尾が-caftorの化合物が3つ入っているのでTrikafta、という命名と思われます。Elexacaftor/ Tezacaftor/ IvacaftorはいずれもCFTR調節薬と呼ばれるカテゴリーですが、タイプは2種類あります。Potentiatorと呼ばれる化合物はIvacaftorで、CFTRたんぱく質(イオンチャネル)の開口確率を上昇させる役割があります。残りのCorrectorと呼ばれる化合物(lumacaftor, tezacaftor, and elexacaftor)は、CFTRたんぱく質を正しくフォールディングしたり、細胞膜へ輸送させる役割を持ちます。今回の評価対象はトリカフタですが、Vertex社はこれまで、Kalydeco(ivacaftor)、Orkambi(lumacaftor/ivacaftor)、Symdeco(ezacaftor/ivacaftor,)の単剤と2種類の合剤を発売しています。
基礎的情報ですが、CFによる米国の病院コストは約1200億円との数字があります。(2013年)
次に、薬剤の薬効評価です。臨床的評価指標は、ppFEV1(percent predicted forced expiratory volume in one second: 最大吸気位(これ以上息を吸うことができない程息を吸い込み、肺がぱんぱんの状態)から、できるだけ速く息 を吐き出(努力呼出)したときの、最初の一秒間に吐き出すことのできた息の量のことの予測値)です。既存薬のOrkambi、Symdecoと比較して、Trikaftaではかなりの改善が認められています。
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同様の指標として、生活の質質問票改訂版でも改善が認められています。
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イオンチャネルが正常に活動すると塩化物イオンが取り込まれるので、汗の中に含まれる塩化物イオンの変化量を指標にしています。
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こういったデータは臨床試験の結果を用いることが多いので適切な評価項目を設定することは適切な医薬品価格評価につながるということを理解しておくとよいです。以下の図では、BSC(Best Supportive Care)あるいは既存薬と比較した場合の各薬剤の有用性について評価されています。
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この結果を踏まえて、最適な治療戦略について下記示されています。最初からTrikaftaを使用するのではなく、各遺伝子型に応じて治療戦略が異なることが示されています。
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気になるお値段です。繰り返しになりますが、アメリカの医薬品価格は政府ではなく各製薬企業が決めることができますが(イメージ例:希望小売価格)、実勢価格は保険会社との交渉によるリベートが含まれますので、これらの価格よりは安いですし、患者が負担する金額も上限金額(2020年の場合は約80万円/年)で収まるはずです。下記は希望小売価格ですが、面白いことに単剤~合剤の価格をほぼ同一に設定している点がユニークだと筆者は感じます。しかし1日8万円近い価格であり、単純に年額換算すれば3千万円を超えるお値段です。
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こちらが薬効と合計コストです。BSCと比較するといずれも5年程度の余命が伸びることが示されていますが、そのためのコストが6-7億円、1年余命をのばすのに1.2億円程度の費用(希望小売価格ベース)が見込まれることになります。
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米国の仕組み上、いくら余命を伸ばすことができるといっても青天井で医薬品価格を設定してもよいわけではなく、1QALYあたり150,000USDという上限値が設定されています。(超希少疾患の場合は500,000USD)。その基本ルールに基づくと、トリカフタは患者数が1万人を超えるためQALYあたりの上限は150,000USDがベースとなるはずで、その場合の価格は年額79,200USDとの計算結果が示されており、希望小売価格である311,700USDと比較すると大きな乖離があることが分かります。このことからICERはVertex社へのメッセージとして、希望小売価格から約80%のディスカウントが適切である、との結論付けを行っています。
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