2014年3月11日火曜日

素直であること。

生きている上で素直である、ということは非常にかけがえのないことである、とつくづく感じる。もちろん素直、といっても文字面どおりではなく、いろんな要素を含んではいるのだけれども。

人は学習する、という前提に立つと、誰かしら先達に助言や指摘を受けたときは、それに従う、あるいは咀嚼して従う、ということが求められる、と思う。しかしそれが自分と異なる考え方であれば議論してもいいし、それをそのまま従うことが「素直」とは思わない。結果的に得られるものがあればよいと思う。そのためには自分の意見をもっとかないといけないし、白紙状態ではいけないのかもなと思う。逆説的ではあるものの素直であるためには、たまには素直でないことも必要かもしれない。あくまで対象の問題。

冨山さんの記事を読んでみて、素直であればこういうことにも繋がるんだろうな、と感じた。ポジションが仮に低くても、すごいと感じる人は単純にすごい訳だし、単純に役職が高い人がすごい訳ではなくで。その辺りを感じるためには自分も磨いておかなければならないのであろうと。だから、誰彼かまわずヘコヘコする営業の人には辟易する訳で(ボクに対する適切な対応があるだとう、と)、だからといってドヤ顔高慢ちきな方ではなく、「あ、この人いいな」と感じさせる人が営業なんだと勝手な解釈をしたり。冨山さんのポストに対しては、あいつに任せると大丈夫だ、みたいな評価がもらえたらな、と。

話がずれたけど素直、という点で思うのが、自分が素で気がおけない人たちと、自分が素になれて単純に愉しいと感じ、すごいと感じたり、そういうことを自由に喋ったりできる、というのは本当に素晴らしいものだなぁと。幸いにも、自分にはそういう人たちがベトナムにも日本にもその他の国にもたくさんいて、本当にありがたい。

自分に素直に、謙虚に、これからも前に進んでいければと思います。
本当にまとまりがありませんが、ぼやっと感じることをぼやっと。

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